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真田の里、信州旧真田町

真田十勇士

青山貞一  池田こみち  鷹取敦
September 5 2016
Alternative Media E-wave Tokyo
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真田の里、信州上田 2015-5, 2015-7
@ 大笹の関 E 角間と真田史跡 J 真田信綱と真田昌輝 O 幸隆と昌輝の墓
A 角間渓谷 F 山家神社 K 信綱寺の黒門 P 真田昌幸
B 岩屋観音 G 真田神社 L 馬頭観音とねじ行事 Q 実相院
C 猿飛岩 H 長谷寺 M 歴史の丘 R 実相院の観音堂
D 真田十勇士 I 真田幸隆 N 信綱寺 S 瀧水寺と観音堂

 せっかくなので、ここで真田十勇士(さなだじゅうゆうし)について解説しておきましょう。

 真田十勇士は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将・真田信繁(真田幸村)に仕えたとされる十人の家臣のことです。

 多くは伝承上の架空の人物ですが、歴史的な由来を持つ人物もいます。いずれの勇士も、あの大坂夏の陣の戦いに真田信繁(真田幸村)と一緒に参戦、徳川家康の首をとるべく戦いながら多くは戦死しています。

 基本的な構成は、@猿飛佐助、A霧隠才蔵、B三好清海入道、C三好伊三入道、D穴山小介(穴山小助)、E由利鎌之介(鎌之助)、F筧十蔵、G海野六郎、H根津甚八、I望月六郎 の十人です。

 以下はWikipediaからです。

 真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、講談で親しまれた真田幸村(史実では真田信繁)に仕えたとされる十人の家臣からなるキャラクターです。

 立川文庫以来、基本的な構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の十人となっていますが、作品によって差異が見られます。

◆真田十勇士

 ここでは真田十勇士の一覧と、簡単な人物を紹介します。なお真田十勇士は、成立したとされる明治大正期以降、現代に至るまで講談や小説などで様々に脚色がなされ、作品によって設定のバラエティーも非常に豊富です。ここではオリジナルとみなされる立川文庫での設定、あるいはその取材元と目ぼしい『真田三代記』などの江戸期での展開のみを記述します。

・猿飛佐助
 猿飛佐助(さるとび さすけ)は、真田十勇士でも屈指の実力と人気を持つ忍者です。立川文庫などによると、鷲尾佐太夫は森武蔵守の家臣でした。小牧・長久手の戦いで森長可が鉄砲により討ち死にすると鷲尾佐太夫は信濃の鳥居峠の麓に住んで郷士となり、姉の小夜と弟の佐助の二人の子をなします。戸隠の山の中で猿と遊んでいるところ、摂州花隈の城主戸沢山城守の父の戸澤白雲斎に見出されてその弟子となります。甲賀流の忍者ですが、甲賀の里ではなく、戸澤白雲斎とは信濃の鳥居峠の近くの角間渓谷(真田忍者の修行場だったとの伝説がある)で三年間の間、修行をしていまし。その後、真田信繁(幸村)に仕え、真田十勇士の第一として登場します。真田幸村に猿飛佐助幸吉(さるとび さすけ ゆきよし)と名付けられました。同じ十勇士で伊賀忍者の霧隠才蔵は、ライバルでもあります。大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村と共に薩摩に落ちのびたといいます。

・霧隠才蔵
 霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)は、猿飛佐助と並び真田十勇士の中でも忍術を得手とします。伊賀忍者の頭領・百地三太夫の弟子とされており、同時代に生きた盗賊・石川五右衛門は兄弟弟子にあたるといいます。立川文庫の55冊目に『真田三勇士忍術名人 霧隠才蔵』の巻があり、真田十勇士では猿飛佐助に次いで人気があります。
江戸以前の資料では『真田三代記』に「霧隠鹿右衛門」という忍者が登場します。

・三好清海入道
 三好清海入道(みよし せいかいにゅうどう)は、弟の伊三入道と兄弟で真田幸村に仕える僧体の豪傑です。出羽国亀田の領主出身で、遠戚に当たる真田家を頼って仕えたといいます。『真田三代記』でも亀田の領主と設定されており、兄弟共に非常に高齢。大坂夏の陣で兄弟共に戦没しているとされます。なお『真田三代記』のこの描写には、実在の三好政康についての俗説(大坂夏の陣に高齢ながら豊臣方として参戦し戦没したとする説)や、三好幸信(幸村三男、長じて亀田藩士となる)、三好氏の元家臣で秀吉の恩願に報いるため大坂方として戦った老将和久宗是の履歴も入り混じっていると考えられます。

・三好伊三入道
 三好伊三入道(みよし いさにゅうどう)は、三好清海入道の弟で、やはり幸村に仕える僧体の豪傑です。兄と同じく元は出羽国亀田の出身で、兄とともに真田家に仕官しました。『真田三代記』でも兄とともにその名が見られ、大坂夏の陣では豊臣方として参戦、戦没したとされています。なお『真田三代記』のこの描写には、実在の三好為三(三好政康の弟。大坂夏の陣に高齢ながら徳川家旗本として参戦)の履歴も入り混じっています。

・穴山小助
 穴山小助(あなやま こすけ)は、真田幸村の側近の一人。作品によっては幸村の影武者となります。『真田三代記』では幸村の家臣としては特に登場頻度が多い股肱の臣として描かれています。同作によると諱は安治、幼名は岩千代。雲洞軒と号していた時期もありました。父の名は穴山小兵衛といい、真田家譜代の家臣の家柄に生まれてています。大坂の陣では幸村から影武者を演じるように命じられ、そのまま戦死。関東方を欺く事に成功しています。

・由利鎌之助
 由利鎌之助(ゆり かまのすけ)は、真田幸村に仕えた豪傑の一人です。彼を主役とした『真田三勇士 由利鎌之助』の巻があります。『真田三代記』でも豪傑・武将として登場しています。諱を基幸といい、最初は野田菅沼家に仕えていましたが、真田軍に敗れて捕虜となった後に真田家へ加わっています。

・筧十蔵
 筧十蔵(かけい じゅうぞう)は、真田幸村の側近の一人です。父は真田家の重臣である筧十兵衛。『真田三代記』には登場しませんが、父と同名である筧十兵衛は登場します。筧十兵衛虎秀は元は足軽という低い身分でしたが、真田幸隆・昌幸に仕えて取り立てられました。

・海野六郎
 海野六郎(うんの ろくろう)は、真田幸村の側近の一人です。真田家重臣の家柄で、叔父は真田家の侍大将を務めていました。『真田三代記』には同名の人物こそ登場しますが、「真田幸隆の義理の甥」という立場であり、同一人物とは認められません。幸村の時代には海野六郎兵衛利一という人物が登場しています。

・根津甚八
根津甚八(ねづ じんぱち)は、真田幸村の家臣の一人です。『真田三代記』でも幸村の家臣・根津甚八郎貞盛として登場します。大坂夏の陣の最終局面で幸村の影武者となって討死しました。同作には根津姓の真田家臣も複数登場しています。

望月六郎
 望月六郎(もちづき ろくろう)は、真田幸村の側近の一人です。作品によっては望月主水、望月三郎などとも呼ばれる。『真田三代記』では望月主水が登場します。そのほか望月姓の真田家臣が数多く登場します。


つづく