真田の里、信州旧真田町 山家神社 青山貞一 池田こみち 鷹取敦 September 5 2016 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
この山家神社では、真田氏代々の崇敬極めて厚く、奥社並びに本社の営繕や寄進をうけています。また山家神社の奥社は、群馬県との境の四阿山山頂にあり、加賀国一ノ宮『白山比盗_社』の御分霊を合祀し、「白山さま」とも呼ばれています。四阿山は神の山であり、そこから流れ出る神川の清流は生きとしいけるものに大いなる恩恵をもたらしているそうです。 四阿山は鳥居峠通過前、国道144号線から見えた長野県と群馬県の県境にあるなだらかな2300m級の山です。 下に写真を再掲します。前を走る道路が国道144号線、背景にあるなだらかな山が四阿山です。もとの標高が高いのであまり高く見えませんが、2,354mもあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は参道から見た山家神社です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 以下に山家神社の由緒(縁起)を示します。 ◆山家神社の由緒(縁起) 山家神社は、後醍醐天皇の時代に編纂された延喜式(927年に完成)に登載がある由緒ある神社です。名将幸村で名高い真田氏や代々の藩主を始め、多くの人々から崇敬を受けて現在に至っています。 創立年は不詳ですが、景行天皇の御代(71〜131)に日本武尊を合祀したと伝わっていますので、それ以前からなんらかの形で存在したと考えられます。 御神徳としましては、農業、水利、疫病、盗難、その他諸々の災厄、祈雨、祈晴に霊験あらたかな為、古来、国司、守護職、武門、武将より一般民衆に至るまで、崇敬極めて厚く、その信仰は長野県下はもとより、埼玉、群馬、遠くは兵庫県にまで及んでいました。 特に真田氏代々の崇敬極めて厚く、奥社並びに本社の営繕や寄進をうけています。なお、奥社は群馬県との境の四阿山山頂にあり、加賀国一ノ宮『白山比盗_社』の御分霊を合祀し、「白山さま」とも呼ばれています。 四阿山は神の山であり、そこから流れ出る神川の清流は生きとしいけるものに大いなる恩恵をもたらしています。 下の写真は山家神社の拝殿です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下の山家神社の写真は拝殿の内部です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-7 下の山家神社の写真は拝殿です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-7 下の山家神社の写真の左は本殿、右は拝殿です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-7 下は山家神社の社殿の鬼瓦についての解説です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 2015-7 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 2015-7 山家神社の境内には天然記念物の社叢があります。これらの樹木は明治20年の旧真田町の大火を免れた樹木をもとに大正初期に植えられたものです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW つづく |