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真田の里、信州旧真田町

実相院


青山貞一  池田こみち  鷹取敦
September 5 2016
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真田の里、信州上田 2015-5, 2015-7
@ 大笹の関 E 角間と真田史跡 J 真田信綱と真田昌輝 O 幸隆と昌輝の墓
A 角間渓谷 F 山家神社 K 信綱寺の黒門 P 真田昌幸
B 岩屋観音 G 真田神社 L 馬頭観音とねじ行事 Q 実相院
C 猿飛岩 H 長谷寺 M 歴史の丘 R 実相院の観音堂
D 真田十勇士 I 真田幸隆 N 信綱寺 S 瀧水寺と観音堂

 私達は2015年の5月、7月ともに、信綱寺を参拝視察した後、実相院に向かいました。下のグーグルマップでは車で3.6km、約17分の距離にあります。


出典:グーグルマップ


◆実相院

 上田市真田町傍陽萩にあります実相院は、天台宗のお寺で神亀2年(725)に行基により開創されています。

 参道前に建つ二つの石柱の左側に「田村将軍祈願所」と刻まれているように坂上田村麻呂が東征の途中、角間渓谷に住む毘邪という鬼を霊験あらたかな馬頭観世音に祈願して捕まえました。これについては、すでに角間渓谷のところで触れました。

 この時、鉄の鎖で縛り上げたことから、金縄山「実相院」になったと記されています。

 
 下は実相院にあった寺の縁起です。

 冒頭、当山は神亀二年、とあります。この神亀は、神亀(じんき、しんき、正字体:神龜)といい、養老の後の、天平の前、724年から729年までの期間を指しています。この時代の天皇は聖武天皇です。

 これだけで見ても、実相院がいかに古い寺であるかが分かります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

 
下は実相院の本堂です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

 実相院(上田市真田町)概要: 実相院の創建は神亀2年(725)、行基菩薩によって開かれたのが始まりと伝えられています。大同元年(806)、角間渓谷の岩屋で毘邪王が鬼達を率いて村人に悪行の限りを尽くしていた際、朝廷は四道将軍の坂上田村麻呂を派遣しました。

 毘邪王は妖術の使い手だった為なかなか倒す事が出来きず、こまった田村麻呂が実相院に安置している馬頭観音に祈願すると妖術が封じられようやく討伐することが出来ました。毘邪王の遺骸は金属の鎖で縛ったまま実相院の境内に埋められ金縄山慈済寺実相院と山号が改称されました。

 以来、将軍の祈願寺として寺運も隆盛し、貞治6年(1367)には将軍執権堀田式部少輔が観音堂を再建し石造宝篋印塔を建立しました。応永3年(1396)の落雷、天文年間(1532〜1555)の兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しますがその都度、再建、再興されています。

 歴代領主からも庇護され寛保2年(1743)には当時の上田城の城主松平伊賀守が本堂を再建しています。現在の観音堂は天明3年(1783)に移築再建されたもので20年間の歳月がかけられた懸造(傾斜地等の崖地に建物を張出すようにして建てる構造)の珍しい構造をしています。貞治6年(1367)の石造宝篋印塔(総高207cm、塔身31cm、相輪48cm)は建立年が明確で上田小県地方では最も保存状態が良いことから平成3年(1991)に長野県の県宝に指定されています。


出典:田市真田町観光・旅行見所ナビ:



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW


石造宝篋印塔

 本堂の前にある下の写真にあります石造宝篋印塔は、貞治6年(1367)に足利将軍の執権であった堀田式部少輔が観音堂の再建と共に建立したとされています。

 この石造宝篋印塔は南北朝時代の典型的な関東洋式であり、長野県内でもこの種の遺例はほとんどなく稀有で秀逸な石塔とされています。


石造宝篋印塔
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW



石造宝篋印塔
撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-7-19



石造宝篋印塔 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW




撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-5-GW


つづく