真田の里、信州旧真田町 長谷寺 青山貞一 池田こみち 鷹取敦 September 5 2016 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
山家神社、真田神社の後に向かったのは、ほど近いところにあります長谷寺(ちょうこくじ)です。 長谷寺(ちょうこくじ)は武田軍随一の謀将・真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺です。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓があります。 長谷寺は昔、種月庵と呼ばれていましたが、天文16年(1547年)真田幸隆が晃運和尚を開山として迎え、真田山長谷寺を創建、菩提寺としました。 昌幸の代を経て元和8年(1622年)信之が松代へ移封となり、同地へ長国寺を建立したので、現在はその末寺となり今日に及んでいます。
下は長谷寺の本堂の写真です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は長谷寺の本堂の写真です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は長谷寺の本堂内部の写真です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は長谷寺と概要と歴史です。 長谷寺(ちょうこくじ)は、長野県上田市にある曹洞宗の寺院です。山号は真田山(さなださん)。 長谷寺は、天文16年(1547年)、真田幸隆が真田本城(松尾城)内の種月庵跡地に伝為晃運(晃運字伝)を招聘して創建しました。 晃運は上野国後閑(群馬県安中市)の長源寺の僧で、幸隆とは旧知の間柄でした。 長谷寺は慶長5年(1600年)上田合戦に巻き込まれて焼失。元和8年(1622年)には真田氏の松代(現長野市)移転と共に、長谷寺の六世住持が松代に移り、新たに長国寺を開山し、長谷寺は長国寺の末寺となりました。 寛保2年(1742年)、長谷寺は土砂災害に巻き込まれ、宝暦7年(1757年)には再び火災で焼失しました。明治23年(1890年)にも火災に遭い、古い建物は残されていません。現本堂は昭和53年(1978年)の再建です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は真田家の家系です。 出典:真田三代に出会うMAP 上田市 下は、中央が真田幸隆、左が幸隆夫人、右が真田昌幸の墓です。真田幸隆の嫡男が真田昌幸、真田昌幸の長男が真田信之、次男が真田信繁(幸村)となります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW つづく |