◆馬頭観音
馬頭観音は、馬頭大士ともいって怒りの表情を表し、その多くは冠の正面と左右に馬頭をつけ八本の腕を持ち、人々の苦しみや迷いを救う観音です。
世間では馬の保護神として馬頭観音、馬頭大士と石に刻み道端に立てましたが、これは美しい線彫りの珍しい馬頭観音です。
昔はこの道が大柏木の山に入る唯一の道で刈草を運び、炭焼き薪取りなど人馬の行き来が盛んでした。
真田町横尾区
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW
以下は馬頭観音の解説です。
◆馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)
馬頭観音は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。観音菩薩の変化身(へんげしん)のひとつであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられています。
柔和相と憤怒相の二つの相をもち、日本では柔和相の姿はあまり知られておらず作例も少ないようです。そのため、観音としては珍しい忿怒の姿をとるとも言われ、通例として憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いいのですが、密教では、憤怒相の姿を区別して馬頭明王とも呼び、『大妙金剛経』(大正蔵:No.965)[1]に説かれる「八大明王」の一尊にも数えられます。
馬頭観音(平安時代、ボストン美術館所蔵)
ハヤグリーヴァの彫像(インド、カジュラーホー)
他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、一般に馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒(ふんぬ)相です。このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて仏の五部で蓮華部の教令輪身(きょうりょうりんじん)であり、すべての観音の憤怒身ともされます。
この観音の柔和相は「赤観音」と呼ばれ、チベット密教や中国密教では、「ブンガ・ディオ観音」、「ブンガ・マティ観音」や、「大悲生海赤観音」、「大悲生海観音」、「紅観音」とも呼ばれます。日本では『理趣経』(大正蔵:No.243)の第四段と、『理趣釈経』(大正蔵:No.1003)[13]に説かれる観音の成仏相である「得自性清浄法性如来」]がこれに相当し、「赤観音」は、その母尊として「蓮華部母」や「蓮華空行母」を伴います。
チベット密教では一面四臂の赤い姿でヤブユムであり、ネパール密教では一面二臂の単尊が一般的で、中国密教ではその両方が有名です。ネパールでは「赤観音」は建国にかかわる重要な尊格であり、カトマンドゥ盆地でもっとも有名なお祭りの一つに『バタンの山車祭り』というのがあり、「ラト・マチェンドラ・ナート」と呼ばれて、マチェンドラ・ナート寺院に祀られた「赤観音」が、4月に始まり6月までの約2ヶ月間掛けてカトマンドゥ盆地を隅々まで練り歩き、仏教徒のみならず、ヒンドゥー教徒にも人気のお祭りとなっています。
チベット密教:サムイェー寺の馬頭金剛像
「赤観音」が馬頭観音であることは、中国密教や唐密において「赤観音」を別名「蓮華王菩薩」と呼び、チベット密教では馬頭明王を「ペマ・ワンチェン」(蓮華王)と呼ぶことからもわかります。また、その証左ともなる「赤観音」の仏像が既に日本に渡来しており、五智の宝冠を被った観音像で、一面二臂の柔和相で馬頭はなく、正面で馬頭観音の「説法印」を結んでいて、背中に明代の刻印が見られます。
この観音の柔和相は「赤観音」と呼ばれ、チベット密教や中国密教では、「ブンガ・ディオ観音」、「ブンガ・マティ観音」や、「大悲生海赤観音」、「大悲生海観音」、「紅観音」とも呼ばれます。
また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られています。さらに馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされていて、『六字経』(大正蔵:No.1186)を典拠とし、呪詛を鎮めて六道輪廻の衆生を救済するとも言われる「六観音」においては、畜生道を化益する観音とされます。
日本では、馬頭観音の柔和相は『覚禅鈔』に初出して、四面二臂の異相の馬頭観音であり、この姿は『陀羅尼集経』に説くところと一致しています。いわゆる柔和相の馬頭観音として有名なものには福井県・中山寺の「馬頭観音像」(三面八臂)や、滋賀県・横山神社の「馬頭観音立像」(三面八臂)があり、憤怒相と柔和相の両面を持つものとしては栃木県日光市・輪王寺の「馬頭観音像」(三面八臂)も知られています。
「赤観音」の名称は日本でも使用されていて、神奈川県岩流瀬(がらせ)の「赤観音」の石仏は、一面二臂の柔和相の馬頭観音であり、また、福島県古殿町松川の石仏は、三面八臂の憤怒相でありながら「赤観音」の名で知られている。異相として、千葉県多古町・蓮華堂の「馬頭観音像」は、化仏としての阿弥陀仏を頭上に戴き、馬頭はなく、一面八臂の柔和相で白馬に乗った「赤観音」である。
馬頭観音の石仏(千葉県)
馬頭観音の石仏については、馬頭の名称から身近な生活の中の「馬」に結び付けられ、近世以降、民間の信仰に支えられて数多くのものが残されています。また、それらは「山の神」や「駒形神社」、「金精様」とも結びついて、日本独自の馬頭観音への信仰や造形を生み出しています。
以上主な出典はWikipedia |
◆戸沢のねじ行事
なお、馬頭観音から古城広場に行く途中、以下の解説板がありました。おそらくこれは道祖神祭りの行事のことと思われます。
誤字いつ調べてみると、戸沢のねじ行事は、毎年、2月8日に真田町長戸沢地区において、国選択無形文化財である「戸沢のねじ行事」のことでした。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW
以下に詳細を紹介します。
・戸沢のねじ行事 子どもの無病息災と豊作祈願
国選択無形民俗文化財 【上田市】
由来・次第
戸沢のねじ行事は、ムラに悪いものが入るのを防ぎ子どもを守る道祖神の祭りと、稲荷信仰のわらうま引きの行事が習合したものと考えられています。
わらうま引きは、2月8日に幼児がわらうまを引いて道祖神にお詣りする行事で、戸沢以外の地区でも行われています。
戸沢のねじ行事が他の地区の行事といちばん異なっているところは、餅やぼた餅の代わりに「ねじ」が作られることにあります。わらうまに、自家製のねじを3つずつわらづとに詰めて三俵背負わせ、これを引いて道祖神にお詣りに行きます。
ねじとは、うるち米の粉に湯を加えてこね、さらに茹でてこねたものに赤や緑の食紅で色をつけたものをねじこみ、中に餡を詰めて木の葉やウサギなどをかたどったものを意味します。
出典:上田市
毎年、2月8日の早朝から、幼児や、ねじの入った重箱を手にした母親が、わらうまを引いて道祖神の前へ集まってきます。初市(生まれて最初の道祖神詣り)の子どもは母親の背中に背負われてきます。
道祖神のところへ着くと、重箱の中のねじを道祖神に供え、無病息災を祈ります。供えられたねじは、誰が持ち帰ってもよいことになっています。お詣りを済ませると、居合わせた人同士で重箱の中のねじを交換します。
ねじの交換を終えると、わらうまを引いて帰宅します。わらづとを外したわらうまは、あらゆる災いを背負って天高く昇ってくれるようにとの願いを込めて、家の屋根へ投げ上げます。初市のお宅では別に作られているわらづとを親類縁者に配る。こうして、子どもの健やかな成長を祈ります。
●開催日/2月8日
●開催地/上田市真田町長戸沢
つづく |