真田の里、信州旧真田町 信綱寺 青山貞一 池田こみち 鷹取敦 September 5 2016 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
当初、長谷寺から信綱寺に車で来る前に、「黒門」を探しましたが、なかなか見つからず、捲土重来、ナビで信綱寺を検索後、やっと狭く曲がりくねった農道のような通り、古城緑地広場近くの駐車場に到着することができました。 下はグーグルマップでみた信綱寺の遠景です。 グーグルマップでみた信綱寺の遠景 下はグーグルマップでみた信綱寺の全景です。 グーグルマップでみた信綱寺の全景 下は上田市のパンフレットにある絵地図です。下に「黒門」がありますが、ここへは車でこれません。車でくるためには、左下から狭い通りを通り、無料お休みどころにあるP(駐車場)に来ることになります。無料お休みどころには、真田関係のたくさんの無料パンフレット(上田市作成)があります。 なお、右上のパゴダ(仏塔)のような石垣は、真田信綱と真田昌幸の墓所です。実際には信綱の夫人の墓があるので三つの五輪塔が立っています。 出典:上田市のパンフレット ◆大柏山 信綱寺 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 今回の現地視察のメインひとつは、信綱寺(しんこうじ)です。信綱寺は信綱の名を寺名としたものです。 この信綱寺の伝えによれば、信綱寺はもともとは横尾氏の菩提寺として、字梅ノ木にあり「好雪斎大柏寺」といいました。 後に真田信網がまだ存命中のときに横尾城の東にある梅ノ木の場所から、打越に移転させました。打越に移築しました。そして戦国時代、須坂の興国寺から順京和尚をお招きして、「大柏山信綱寺」とと称しています 大柏山信綱寺が所蔵する文禄3年(1594年)の寺の建立者、真田昌幸の文書によれば、信綱寺は真田昌幸が兄・信綱の位牌所として建立したとあります。 この打越の地を真田信綱の墓所としたのは、真田氏の屋敷があったことで由緒ある地であるためとされています。そして、享保二年(1717年)に現在の高台に再建されました。
下は信綱寺の総門(黒門)の次の門(本堂近くの門)です。ここから正面に信綱時の本堂が見えます。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-GW これは本堂です。本当に立派な寺院です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:t鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-7-19 下の写真は本堂の正面入り口です。六文銭のぼんぼりが両側にあります。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 本堂の上にも六文銭が見えます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は信綱寺の鐘楼です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は裏山から見た信綱山の本堂です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-GW つづく |