真田の里、信州旧真田町 瀧水寺と観音堂 青山貞一 池田こみち 鷹取敦 September 5 2016 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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信綱寺、実相院を拝観視察した後、私たちは長野県上田市殿城1270にあります瀧水寺に向かいました。 出典:グーグルマップ 出典:グーグルマップ この寺も、以下の縁起を見ればわかるように真田一族と密接に関係する矢沢綱頼、すなわち真田頼昌の三男、真田幸隆の弟、真田昌幸の叔父としてこの地に入り、以後、真田氏の中心的な家臣として活躍し、沼田城の城代などにも赴任していいます。本寺は夫人との発願で再建したものです。 ◆瀧水寺 真言宗豊山派の瀧水寺は、上田市殿城の風光明媚な所にあります。 創建は鎌倉時代正応年間(1290年)。現在の本堂は天正十五年(一五八七年)に矢沢薩摩守綱頼らが祈願王となって再建しました 総本山は奈良県長谷寺で歴代住職はここで修行を積む。 現存する主な建造物は以下です。 ・聖天堂−通称「瀧の聖天さま」といわれ霊験あらたかなため佐久や群馬など遠方からも 信者が訪れます。 ・護魔堂−弘化三年(一八四六年)に再建。不動尊像を安置、堂寺の仮行道場となっています。 ・観音堂−みごとな自然の岩の上にあります。これは赤坂村の奥地にまつられていた 十一面観世音を移築する為に建てられた。 瀧水寺遠景 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 以下は、瀧水寺の概要と縁起です。 瀧水寺の創建は正応3年(1290)頃、慧算が龍宮明神を勧請したのが始まりとされます。 以来、神仏習合し隣接する龍宮神社の別当寺院として祭祀を取り仕切っていたと思われます。 現在の本堂は天正15年(1587)、矢沢綱頼、すなわち真田頼昌の三男、真田幸隆の弟、真田昌幸の叔父(当地方の有力国人領主だった矢沢家の養子)として入り、以後、真田氏の中心的な家臣として活躍し、沼田城(群馬県沼田市の城代などにも赴任)と夫人との発願で再建したものです。 寺は寄棟、銅板葺、桁行六間、正面一間向拝、内部には本尊である大日如来尊像が祀られています。 護摩堂は弘化三年(1846)、仙石政相(旗本:矢沢領主)が大願主として再建したもので寄棟、銅板葺、桁行二間、内部には水現不動尊が祀られています。 瀧宮神社の別当寺院 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は寺院の総門です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW ここには素晴らしい枝垂れサクラがさくとのことですが、音連れたのは少々遅かったからか枝垂れサクラを見ることができませんでした。下の写真は上田市のWebからのものです。 素晴らしい枝垂れサクラ 出典:上田市Web 総門の前にはたくさんのボタンや菖蒲が咲いていました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 下は境内と本堂です。この右側の崖に観音堂があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW ◆観音堂 観音堂は天保13年(1842)に建てられたもので、入母屋、桟瓦葺、懸造、妻入、唐破風向拝付、向拝部には繊細な彫刻が施されており、江戸時代後期の堂宇建築の特徴が見られます。 内部には永観年間(983〜985)、恵心僧都が自ら彫り込んだと伝えられる十一面観世音像が祀られています。十一面観世音像は元々赤坂村にあった岩谷堂の本尊でしたが観音堂が再建された際、当寺に遷されたそうです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW 大変見事な観音堂でしたが、下の写真にあるように構造的また材質的に課題があり、人が乗るには危険な状態にありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-GW |