中山道、信州 宿場探訪 下諏訪宿と本陣(かめや) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 8 October, 2015 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
◆本陣(かめや) ここで、岩波家とともに本陣となっているかめやを訪問します。 何でも本陣だった「かめや」には、皇女和宮が京都から江戸に徳川家茂の嫁として1万人以上の行列をともなって下る途中、一泊したとのことです。内部には宿泊された部屋などもそのままのこっているとのことです。 ゴールデンウィークのときは、中山道の次の宿、和田宿でも皇女和宮が一泊されることで、宿場あげて対応したことを学芸員から伺いました。おそらくこの下諏訪宿でも町あげて対応したことはやぶさかではありません。 下が「かめや」の遠景です。「かめや」の入館料は無料で、温泉宿の入口で本陣をみにきましたと伝えると「どうぞ」と言われ、靴を脱ぎ拝見させて頂きました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 以下の出典は「かめや」公式Webです。 下諏訪宿は300年余りの歴史を持ち、本陣の一部であった当宿の『上段の間』には、皇女和宮さま、参勤交代の諸大名や、第5代将軍〜第14代将軍の歴代御台所の花嫁行列の寝所でありました。 また、隣接の本陣岩波家へは幕末に赤報隊の相楽總三、近藤勇ら新撰組、水戸浪士軍が宿泊され、激動の幕末の舞台となりました。 かめやとして営業を開始した明治以降、島崎藤村、芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子、宇野浩二、西條八十など諸文豪を迎えた歴史ある宿でございます。 これらの歴史的財産を残すべく、このたび聴泉閣かめやはリニューアルオープンいたしました。 当旅館は江戸より二十九次目、中山道下諏訪宿の本陣宿として、長い歴史に培われた名園、名湯の宿でございます。 江戸時代は皇女和宮や参勤交代の諸大名の寝所、明治初期、旅館として営業を開始後は、芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子、島崎藤村ら諸文豪が宿泊した歴史ある旅館です。 2013年11月、館内リフレッシュし新たにオープンいたしました。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 以下の出典は「かめや」公式Webです。 「かめや」の日本庭園は、小堀遠州の作によるものとされ、安土桃山時代より江戸時代初期にかけて完成された庭園とされていますが、詳しい時代は定かではありません。 池は心字に作られており、逆L字形の池の中心部に滝を作り、池の右方に石橋を架け、飛び石は連続して配置されています。 滝の石組みが素晴らしく、飛び石と拝石のバランスも良く取れている庭。中心部の池の滝から鯉が登りきると龍になるといわれ、このことが世界を支配する、即ち皇帝になるといわれ、滝の下の石は鯉を表していると考えられ、鯉の滝登りを表現した滝であります。 しかもこの滝は、めずらしいことに陰陽石の滝であり、陰は女性の魂、陽は男性の魂が入魂された石組が配備され、子孫繁栄を表す非常にめでたい高貴な名園と云われたようです。 初夏には、さつき・霧島つつじなどが見事に咲き乱れ、秋には紅葉となり目にもあざやかに色づき愉しませてくれます。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 以下の出典は「かめや」公式Webです。 泉質・効能 源泉 綿の湯源泉と旦過第一源湯の混合泉 泉質 単純温泉(弱アルカリ性低張性高温泉) 泉温 57.5度 効能 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔 疾、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進 つづく |