中山道、信州 宿場探訪 下諏訪宿の概要 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 8 October, 2015 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
◆下諏訪宿の概要 その下諏訪宿は諏訪神社の4つある宮のひとつ下社秋宮の門前町として、また温泉宿として発展してきた町です。 歴史的に見ると下諏訪集落は、もともと「湯之町」として室町時代中期頃から発展し、江戸時代になると街道の造営とともに町並みも整備され、中山道69次のひとつの宿として大変賑わった町なのです。 下諏訪の町並みは、長さ約530m、甲州街道中の分をあわせると約960mにも及んでいたそうです。 下諏訪宿の中心は、「綿之湯」あたりとされており、「綿之湯」に問屋と本陣が置かれたとあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 出典:下諏訪町立歴史民俗資料館 下諏訪宿とその周辺の街道地図 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 ◆下諏訪宿 下諏訪宿は、甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点、中山道六十九次のうち二十九番目にあたる宿場であり、もともと諏訪大社の門前町として、また温泉宿として発展したまちです。 下諏訪町の本陣は、現在の長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり、難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社の門前町として栄えました。 また、甲州街道の終点でもあり、45軒の旅籠がありました。また古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の温泉のある宿場として、当時の安藤広重などの絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 ところ、下諏訪宿の本陣は、岩波家として現在も一部が一般公開されています。この本陣は諏訪大社下社秋宮の境内を借景としており、広大な庭園を持つことが知られていましたが、現在宅地化が進んでおり、その一部のみを見ることができだけです。 現在、本陣は岩波家が管理する旧本陣の一部と、皇女和宮降嫁の際また明治天皇が宿泊した際奥の座敷を「かめや」という旅館で見学することができます。 玄関には、大名家が宿泊している時に掲げる徳川御三家、井伊家などの関札が残っているのを展示してあります。また脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業しています。 現在の下諏訪宿の一部、本陣があった「かめや」旅館の看板が見えます 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 現在の下諏訪宿の一部 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 昔からつづく塩まんじゅうの老舗、新鶴本店 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-4 昔からつづく塩まんじゅうの老舗、新鶴本店 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下諏訪の旧称は下ノ諏訪です。下諏訪町は、大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり、小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、歓楽街的な雰囲気はありません。 天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒で宿内人口は1,345人であったとされています。一方、下諏訪町立歴史民俗博物館によれば、往事の下ノ諏訪の町並みは、長さ約530m、甲州街道中の分をあわせると約960mにも及んでいたそうです。 つづく |