中山道、信州 宿場探訪 諏諏大社上社本宮1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 8 October, 2015 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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諏訪大社下社の秋宮の参拝、視察終了後、諏訪市にある上社の本宮に向かいました。 以下のルートで車での移動は約25分程度です。途中、諏訪市の中心部を通るので混雑に巻き込まれなければ20分程度で到着します。 出典:グーグルマップ 下のグーグルマップの左側にあるのが諏訪大社上社本宮です。この本宮と次に行く前宮はわずか2km程度で車では5分とかかりません。地図は上が北です。 グーグルマップで示した諏訪大社上社の本宮と前宮 ここでは上社が初めてとなるので、最初に上社そして本宮の簡単な解説を行います。
車を駐車場に置き、諏訪大社上社本宮の方に向かって歩きます。途中、下の写真にあるような吉良町の吉良上野介の孫にあたるひとの霊廟がありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 鳥居より少し前の所に諏訪大社の大きな石碑があります。この石碑は四宮とも同じもののようです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下は諏訪大社の鳥居です。鳥居は、この東参道のこの場所以外に諏訪湖が見える北参道にもあります。 浪除(なみよけ)鳥居 北西方に立つ。昭和15年造営で当社唯一の木造鳥居です。 東参道の鳥居 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 鳥居をくぐった後、諏訪大社上社本宮の標識がありました。これも四宮に共通なようです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下は諏訪大社上社本宮の全体案内です。 私達は下図の左端から上社本宮に入りました。入ってすぐのところに入口御門があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下の境内地図は主要部のクローズアップです。 上社 本宮のご神紋は下社秋宮と同じ梶の葉ですが、根が4本のところが異なります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 入口御門 文政12年(1829年)に造営されています。 入口御門 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 入口御門の解説板 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 入口御門は、文政12年(1829)に建立された上社宮大工頭領である原五佐衛門親貞とその弟子藤森廣八が構築し巧緻な彫刻が施されています。 下は入口御門のクローズアップです。 上社 本宮のご神紋は下社秋宮と同じ梶の葉ですが、根が4本のところが異なります。 入口御門 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 入口御門をくぐりすぐを左に行くと、額堂又の名を絵馬堂がありました。そこにはどこかで見たものがおいてありました。 額堂(絵馬堂) 堂内に御柱祭のメド梃子があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 額堂 額堂とは、全国の崇拝者から寄進された絵馬や額を納めており、別名「絵馬堂」とも呼ばれています。その昔、人々は願事をする際に神が乗るための馬を奉納し祈りを下げていました。やがて時代とともに型式が変わり現在のように馬の絵を描いた木札を奉納するようになりました。そうです! 上社の御柱祭で行われるあのものです。その名は、「メド梃子」(メドデコ)といいます。 「メド梃子」(メドデコ) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下の写真を見れば「メド梃子」(メドデコ)が何かが分かります。 「メド梃子」(メドデコ) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下は「メド梃子」(メドデコ)を背景にした池田です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下は「メド梃子」(メドデコ)の解説です。 「メド梃子」(メドデコ)の解説 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16
下は神馬舎です。中には二頭の美しいお馬がおりました。 神馬舎 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 神馬社 古くより諏訪大社の神馬の屋形で明治以降は背に御弊を建てた銅製の神馬と木製の神馬が安置されています。明治27年7月の大暴風雨により近くの大欅が倒れて神馬舎は倒壊してしまったのに神馬は前方に10メートルほど飛んで微塵も被害を受けませんでした。時恰も日清戦争の勃発した頃であり人々は諏訪明神が神馬に乗って戦場に向かわれたのであると言って驚き懼れたと伝えられています。 贄掛けの欅 境内最古の樹木の1つです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下は長い廊下、五間廊です。 五間廊 安永2年(1773年)に造営されています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 五間廊 現在の建物は安永年(1773)の建造であり、廊下洋式切妻造りです。権祝・擬祝・副祝の5官着座のことが見ています。 下は、布橋です。 布橋 古くは大祝のみが渡り、布が敷かれていました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 下の写真は摂末社群です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 ◆摂末社(せつまつしゃ) 神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社のことで、摂社と末社と併せた呼称である。枝宮・枝社ともいう。 つづく |