中山道、信州 宿場探訪 下諏訪宿と温泉 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 8 October, 2015 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
◆下諏訪宿と温泉 江戸時代の下諏訪宿の本陣兼問屋は、現在、先に視察してきました岩波家とともに、昔から温泉旅館を営んでいる「かめや」の二つに別れています。 一通り岩波家の本陣を視察した後、私達は隣にあります「かめや」に向かいました。 「かめや」に行く途中、以下の石碑に出会いました。「甲州街道中終点 右江戸へ53里11、左えどより55里、正面京都へ77里、中山道下諏訪宿問屋場」とあります。まさに本陣跡です。 そこで「かめや」に行く前に、このあたりを少し探検することにしました。 下は後で行く下諏訪町歴史民俗博物館の解説板ですが、下諏訪に来る前、グーグル検索でいろいろ調べてみたら、やはり下諏訪宿は、その昔、温泉町として発達した集落で「湯之町」とおいう名が室町時代中期にあったとありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 出典:下諏訪町立歴史民俗資料館 「かめや」の前あたりをうろうろと歩いてみると、以下の江戸時代の本陣当たりを大きな絵図にした組み合わせタイル絵図のようなものがありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 近づいて見ると以下のような横6枚、楯4枚のタイルを組み合わせた絵図でした。絵には、右上に温泉と書いてあります。やはり、下ノ諏訪町のこの当たりは宿であるととこに温泉でも会ったようです。 中山道69次のなかで宿が同時に温泉となっていたのは、この下諏訪宿だけだったこともわかりました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 さらに周りを見渡すと、以下のように玄関の上に「湯源湯の綿」という看板がありました。さらに問屋があったところの前に「綿の湯」という石碑のようなものがあります。 すなわち、これらはすべてこの本陣当たりにさまざまな温泉があることの証左であったのです。後日、調べて見たら、下諏訪町には江戸時代より遙か以前から沢山の温泉や温泉宿があったことがわかりました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-8-16 何と、その「綿の湯」は、下の「神話と伝説 綿の湯」にあるように諏訪大社との関連でも由緒ある「湯」のようです。「神話と伝説 綿の湯」を読むと全国に一万以上ある諏訪神社で、湯の湧く宿場として親しまれた街道一賑わったのが下諏訪宿だったとあります。 綿の湯の碑 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 「神話と伝説 綿の湯」 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-8-16 なお、温泉と宿場、当時の風俗などについては、下諏訪町立歴史風俗資料館のところで詳述していますのでご覧ください。 つづく |