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  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

イスタンブール

(Istanbul、トルコ)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月〜6月
独立系メディア E−wave Tokyo
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 次はトルコのイスタンブールです。

◆イスタンブールIstanbul、トルコ)


イスタンブールの位置    出典:グーグルアース 


イスタンブールの位置    出典:グーグルアース 


イスタンブールの位置    出典:グーグルアース 

 以下はアジアとヨーロッパの境界線にあるボスポラス海峡です。


イスタンブール市街地の地図       出典:テキサス大学図書館

◆オスマントルコ、オスマン帝国

 オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国です。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記されます。

 15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしその首都であったコンスタンティノポリスを征服し、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブールと通称されるようになります)。

 17世紀の最大版図は、下図のように東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域に及びました。


Source: Wikimedia Commons

イスタンブール(Istanbul)



 イスタンブールはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地です。

 日本では一般に「イスタンブール」と呼ばれることが多くなっています。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏 (en) の一つで、イスタンブール市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれています。

 イスタンブールはトルコに16ある大都市自治体の1つで 5,343km2 (2,063 sq mi) の広大なエリアはイスタンブール県と同一の広がりを持ち、イスタンブールは同県の県都です。

 同都市はトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んで大陸間に跨った都市です。

 市域はボスポラス海峡を挟んで東のアジア(アナトリア半島)側と西のヨーロッパ(トラキア地方)側両方に拡がり、西側の市域は金角湾で南北に分かれる。2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもあります。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1はアジア側に居住しています。

 サライブルヌ(英語版)の岬に紀元前660年にビュザンティオンとして創建され、現在では歴史上最も重要な都市の一つとしてイスタンブールは知られています。

 330年にコンスタンティノープルとして再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国 (330-395)、ビザンティン (395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国 (1453-1922) と4つの帝国の首都でした。

 1453年にオスマン帝国により都市が征服されコンスタンティノープルの陥落が起こる以前のローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要でしたが、征服後はイスラームの中心やオスマンのカリフの中心に変わりました。

 トルコ共和国がアンカラを新しい首都に制定したが、宮殿や帝国のモスクは今でもイスタンブールの丘に見ることが出来、イスタンブールの以前の中心的な役割を想起させる遺産となっています。イスタンブールは歴史上重要なシルクロードに沿った戦略的な場所に位置し、ヨーロッパと中東への鉄道網と黒海と地中海を結ぶ唯一の航路は1923年のトルコ共和国の設立を差し引いても、幅広い人々を育むのに役立っています。

 戦間期には新しい首都のために見落とされがちでしたが、その後直ぐにイスタンブールはその傑出した部分の多くを取り戻しています。

 アナトリア中から移住者がイスタンブールやその周辺に集まり居住地が広まり、1950年代以来人口は10倍に増加しています。20世紀後半には芸術祭が確立し、その間にインフラが改善され複合的な交通網が整備されています。

 出典:Wikipedia 

◆オスマン調の文化

 オスマン朝では、神学や哲学のような形而上の学問の分野では、当時のアラブ・イランのものを上回るものは表れなかったと言われます。しかし、それ以外の分野では数多くの優れた作品や文化を残しました。


イズニク陶器の水差し(16世紀頃)
Source:Wikimedia Commons

建築
 イスラムの伝統様式を発展させ、オスマン建築と呼ばれる独特の様式を生み出しました。モスクなどに現存する優れた作品が多く、17世紀に立てられたスルタンアフメット・モスク(ブルーモスク)がもっとも有名です。

 建築家はイスタンブールのスレイマニエ・モスクやエディルネのセリミエ・モスクを建てた16世紀前半のミマール・スィナンが代表的ですが、アルメニア人の建築家も数多く活躍しました。宮殿では、伝統的建築のトプカプ宮殿や、バロック様式とオスマン様式を折衷させたドルマバフチェ宮殿が名高いものとしてあります。

陶芸
 16 - 17世紀のイズニクで、鮮やかな彩色陶器が生産されました。この時代につくられたモスクや宮殿の壁を飾った色鮮やかな青色のイズニク・タイルは、現在の技術では再現できないといいます。18世紀以降は陶器生産の中心はキュタヒヤに移り、現在も美しい青色・緑色のタイルや皿が生産されています。

文学
 トルコ語にアラビア語・ペルシア語の語彙・語法をふんだんに取り入れて表現技法を発達させたオスマン語が生まれ、ディーワーン詩や散文の分野でペルシア文学の影響を受けた数多くの作品があらわされました。チューリップ時代の詩人ネディームはペルシア文学の模倣を脱したと評価されていますが、その後は次第に形式化してゆきます。


楽人(レヴニー画)
Source:Wikimedia Commons

美術
 イスラム世界から受け継いだアラビア文字の書道が発展し、絵画は、中国絵画の技法を取り入れたミニアチュール(細密画)が伝わり、写本に多くの美しい挿絵が描かれました。ヨーロッパ絵画の影響を受けて遠近法や陰影の技法が取り入れられ、特にチューリップ時代の画家レヴニーは写本の挿絵に留まらない、少年や少女の一枚絵を書いていました。 また、エーゲ海地方のウシャクでは絨毯の織物が有名です。

音楽
 アラブ音楽の影響を受けたリュート系統の弦楽器や笛を用いた繊細な宮廷音楽(オスマン古典音楽)と、チャルメラ・ラッパや太鼓の類によって構成された勇壮な軍楽(メフテル)とがオスマン帝国の遺産として受け継がれています。

園芸
 チューリップ、ヒアシンス、アネモネ、ラナンキュラスなどが庭園で栽培され園芸植物化され、多くの品種を世に出しました。

料理
 オスマン帝国の料理は、宮廷料理に向けて帝国全土から様々な料理や食材を持ち込んだ事で知られています。地中海の周辺で欧州、中東、アフリカの一部の料理にも影響を及ぼしました。


 以下はイスタンブールの写真ギャラリー、提供はトリップアドバイザーです。


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


イスタンブール (トリップアドバイザー提供)


カッパドキア

 以下の写真は1996年、トルコのイスタンブールで開催された第二回国連人間居住会議(ハビタットU)に出席したときに、カッパドキアを訪れた際に撮影したものです。ガイドはアンカラ大学日本語学科の学生です。


1996年、トルコのイスタンブールで開催された第二回国連人間居住会議(ハビタットU)
に出席したときに、カッパドキアを訪れた際に撮影


1996年、トルコのイスタンブールで開催された第二回国連人間居住会議(ハビタットU)
に出席したときに、カッパドキアを訪れた際に青山貞一がエクラクロームで撮影

 以下の写真はトルコのカッパドキア(世界遺産)で撮影したものです。


Source: Wikimedia Commons


Source: Wikimedia Commons


Source: Wikimedia Commons


カッパドキア (トリップアドバイザー提供)


カッパドキア (トリップアドバイザー提供)


カッパドキア (トリップアドバイザー提供)


カッパドキア (トリップアドバイザー提供)


カッパドキア (トリップアドバイザー提供)


カッパドキア (トリップアドバイザー提供)


つづく