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ところで、2010年9月12日(日)の午後、唐津から福岡に戻り、福岡市内で博多小学校にある防塁展示を探した後、博多小学校からほど近いところにある寺町や福岡城跡などの歴史短訪を行った。 この日は唐津にいた午前中からポツポツ雨が降り出したが、それほど大した雨にはならず、逆に久しぶりに涼しい一日となった。 ◆博多区の秀逸な寺町 ここでは、最初に博多小学校の近くで歴史的に由緒がある寺町に出会った。博多小学校に行く途中、博多区を流れる御笠川沿いに寺が集中している地域があった。 御笠川 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 御笠川 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 寺町場所は博多駅の北である。地番は<御供所町>、<下呉服町>そして<上呉服町>の3つの地区である。下にその寺町の地図を示す。 福岡市博多区の寺中町 出典:マピオン 結局、2時間以上、寺町を歩くことになったが、東京で言えば東京駅のすぐそばに鎌倉時代にできた20もの寺があるようなものである。まさか博多駅の北側に、しっとりと落ち着いた禅寺などお寺がたくさんあるとは思いもよらず、驚くとともに寺町めぐりを楽しんだ。 寺社を列記すると以下のようになる。20の寺が博多駅北の御笠川沿いの狭い地域にある。真言宗の寺が3、浄土宗の寺が7、臨済宗各派の寺が10、全部で20の寺があった。
ここでは、博多駅よりにある臨済宗妙心寺派の禅寺<聖福寺>と幻住庵を少し紹介しよう。 下の写真は御笠川の対岸から見た寺中町。この辺だけ緑がこんもりある。 御笠川側からみた福岡市博多区の寺中町。みどりのあるところは幻住庵 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 御笠川側からみた福岡市博多区の寺中町 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 聖福寺とその周辺 出典:マピオン 下はグーグルマップで見た聖福寺、幻住庵とその周辺。北側の川は、御笠川。 聖福寺、幻住庵とその周辺 出典:グーグルマップ ◆聖福寺 下は聖福寺の山門である。 参照:聖福寺公式Webなど。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 また下は幻住庵(左)と聖福寺(右)の間にある道である。この2つの土塀と道が到底、博多駅近くとは思えない静寂と落ち着きがあり、とりわけすばらしかった。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 下は左側が聖福寺の土塀、右側が瑞応庵である。この道も同じく大都会とは思えない静寂としっとりとした落ち着きがあってすばらしかった。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 聖福寺は今から815年以上前の建久6年(1195年)、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将、源頼朝によりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本で最初の禅寺である。 山号を「安国山」、寺号を「聖福至仁禅寺」という。後鳥羽上皇より、日本で最初の禅寺である事を意する「扶桑最初禅窟」の号も得ている。 聖福寺の境内は、創建当初、鎌倉幕府の将軍、源頼朝より方八町(900m四方)をもらい、七堂伽藍を建立し、丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三世仏を安置していたと伝えられている。塔頭も三八院(現在は六院)を数えていた。 聖福寺の境内は、寺中町を形成しており、今に残る博多の地名で普賢堂、中小路、魚町、店屋、蓮池、西門などは当時からのものである。ちなみに寺中町は、寺の境内の中にまちがあることを意味する。 なお、昭和44年(1969)に境内一帯が国の史跡に指定されている。 ※ 聖福寺の公式Web ※ 聖福寺における茶会などの季節行事 ◆聖福寺の仏殿 聖福寺の仏殿 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 仏殿は天正17年(1589年)耳峯玄熊によって中興され、正面三間の桟唐戸は外に開く。両端には丸窓がある。これは黄檗宗の影響と云うよりも栄西禅師が渡った南宋の寺では丸窓が多く見られることに拠るものと考えられる。 天井には狩野永真作の「雲龍図」が描かれている。中央須彌壇には当寺のご本尊である三世仏が鎮座している。釈迦仏は鎌倉末期の作と伝えられ、両脇の弥陀仏・弥勒仏は江戸期の作とされている。仏殿では、毎月15日に祝聖が行われている。 ◆栄西禅師と茶 聖福寺を開山した栄西禅師は、中国の宋より茶を日本に持ち帰り、聖福寺の境内などに植え、 各地に茶を広めている。同時に栄西禅師は宋の喫茶も伝えており、「喫茶養生記」という書も著し、 茶文化の先導的役割を果たている。 実は西南学院大学の図書館や佐賀県名護屋にある名護屋県立博物館にも以下のパンフレットが置いてあった。そこにあった栄西とは、まさに聖福寺を開山した栄西禅師を指していることがわかった。 パンフには茶も禅もここからはじまったとある。 以下、パンフを紹介しよう! 聖福寺を開山した栄西禅師 出典:栄西頂相(聖福寺蔵) ●フォーラム 日本のお茶と文化+食の大切さを考える! 「茶育でつくる子どもたちの未来」 (入場無料 事前申込不要 定員240人) 開催日時:平成22年9月23日(木・祝) 午後1時~午後4時15分 会 場:福岡市博物館 1階 講堂 内 容:基調講演「茶育のすすめ」 講 師:大森正司/大妻女子大学教授 農林水産省補助事業報告 パネルディスカッション「茶育でつくる子どもたちの未来」 コーディネーター:武井俊詳/西南大学副学長 パネリスト:細川白峰/第133世聖福寺住職 松延利博/JAふくおか八女組合長 徳永睦子/(社)世界緑茶協会顧問、 フードプロデューサー ●特別展記念呈茶席(立札) ※会期中、9月18日~19日を除く土日 (10時~16時 ただしお菓子がなくなるまで)に開催 福岡茶道文化連盟の7流派 (表千家、裏千家、武者小路千家、南坊流、遠州流、 宗(そうへん)流、大日本茶道学会)による呈茶席 開催日・流派 9月11日(土)、12日(日) 宗?流 25日(土)、26日(日) 南坊流 10月2日(土)、 3日(日) 裏千家 9日(土)、10日(日) 遠州流 16日(土) 表千家 17日(日) 武者小路千家 23日(土)、24日(日) 大日本茶道学会 30日(土)、31日(日) 表千家 会 場 博物館1階 グランドホール 参 加 費 茶券 500円(菓子付き) 事前申込み不要 ◆幻住庵 幻住庵は、今から674年前の延元元年(1336年)、無隠元かいにより開山されている。それ以前は、那珂郡馬出村(現在の東区馬出)にあったが、天正年間(1573-1591年)に兵火にかかり寺は消失した。 正保3年(1646年)に博多の豪商、大賀宗九の息子、宗伯が現在の地に再建した。墓所には、宗九、宗伯父子の墓がある。また文化・文政年間(1804-1830年)には、聖福寺の名僧、仙厓和尚が庵内の琥珀院で静かに余生を過ごしたとされている。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.12 つづく |