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前半 後半 全体 ■2009年3月10日 冷たい雨降るビルケナウ収容所を行く |
●ビルケナウへ移動する アウシュビッツ博物館を視察した後、一瞬だがアウシュビッツ周辺の天気が晴れた!こんな青い空を見るのはポーランド到着後初めてのことだ。 ここで昼食をとる。博物館のビジターセンターの一角にあるレストランで簡単な食事をとる。このレストランは、カフェテラス形式で行列し、ひとりひとりが好きな食べ物、飲み物を注文して、行列の最後でお金を払う方式だ。 この後、アウシュビッツ2と呼ばれるビルケナウ強制収容所(Birkenau Concentration Camp)に向かう。ビルケナウには無料のシャトルバスを利用するのだが、食事後、そのシャトルバスの停留所を探しているうちに、12:30発のビルケナウ行きのバスが出発してしまった。 さらに、このときやっと青空が見えたのに、一転してみぞれまじりの雨も降り出した。仕方なく1時間、アウシュビッツ博物館のビジターセンター前で次のシャトルバスを待つ。 50分ほど待って、やっと次のシャトルバスが到着した。行く先は下の写真のようにビルケナウ博物館である。 下の地図にあるAuschwitzTから AuschwitzUにシャトルバスで移動する。アウシュビッツUビルケナウ収容所がいかに広大であるかが分かる。 出典:Wikipedia 予定通り13:30ちょうどにシャトルバスは出発する。歩いてもおそらく30分もあれば到着するだろう。だが、疲れ切っていたのでバスを利用する。 約7分でビルケナウ絶滅収容所の玄関横の駐車場に到着した。 入り口にはビルケナウ収容所をビルケナウ絶滅収容所(英語ではBiruknau Extermination Camp)と書いてある。Exterminationは、直訳すれば「撲滅」あるいは「絶滅」である。その言葉の意味することは、ひと言で言えば、ひとたびこの収容所に強制連行された「囚人」と言う名のひとびとは、生きて帰れないと言うことであろうか? ところでアウシュビッツやビルケナウはドイツ語だが、ポーランド語では、ブジェジンカである。ブジェジンカ村につくられた収容所なので、ポーランド語で言えば、ブジェジンカ収容所と言うことになる。 フェンス越しに収容所の中を見ると何しろ広い。 53万坪、ヘクタールで約175ヘクタールもある。巨大、広大な敷地である。推定だがアウシュビッツ収容所の40〜50倍ありそうな広さである! 下はアウシュビッツ博物館のビジターセンターで購入した案内書に掲載されたビルケナウの施設案内図である。 主な施設案内 it: 総合案内所、この近くにバスが到着する。 BUa:隔離所 BUb:テレジンのユダヤ人家族用収容所 BUc:ハンバリーのユダヤ人収容所 BUd:男性収容所 BUe:ジプシー収容所 BUf: 囚人用病院 BUg: 殺害された人々から奪った物の倉庫(通称カナダ) BV: 収容所増設地域(通称メキシコ H: 引き込み線(積み下ろし場) KU〜V:ガス室・人体焼却場の後 L: 野外焼却場(遺体の野積み場所) M: ソ連軍捕虜集団墓地 N: 人間の灰処分場 O: 司令部 P: 死のブロック R: サウナ(常設展示場) S: 懲罰労働斑 T: 囚人用トイレ・洗面室 W: ナチス政権下の犠牲者の国際慰霊碑 ビルケナウ強制収容所(第2収容所)の全体図 駐車場で降りるとすぐ目の前に有名な「死の門」が見える。ちなみにアウシュビッツ博物館に帰るシャトルバスの時刻表を見ると、以下にあるように17:00まで1時間毎に一本出ていることが分かる。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 下はアウシュビッツ2、ビルケナウ強制収容所の「死の門」の遠景である。世界的に有名なアウシュビッツ・ビルケナウの「原風景」でもある。 世界的に有名なアウシュビッツ2、ビルケナウ強制収容所の「死の門」 この引き込み線によって100万人以上の人々が強制収容所に 連れ込まれ大部分は帰らぬひととなっている 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 この門を含む建築物がビジターセンターとなっていて資料などを売っている。ビルケナウ収容所もアウシュビッツ収容所の入場は無料である。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.10 下の写真は、ビルケナウ収容所のメインゲートで建設作業の労働を強いられる囚人の写真。これは1944年に撮影されたものである。メインゲートの「死の門」は上の現在の写真とまったく同じ構造であることが分かる。 Auschwitz II-Birkenau concentration camp. Prisoners at work on the construction of the main gate of Birkenau Concentration Camp. SS Photograph, 1944. 以下はビジターセンター近くに設置してある解説板である。この案内板には、よく見るビルケナウに連行、移送されたときの写真が掲載されていた。 ところで、「死の門」が意味するところは、上の写真にある有名な「引き込み線」によって100万人以上の人々が強制収容所の中に移送され、その大部分は帰らぬ人となったことに由来している。 このビルケナウ収容所は、アウシュビッツ第1収容所の収容を補うため、1941年10月、ブジェジンカ(ビルケナウ)村に「第2の強制収容所」として開設された。総面積は53万坪、ヘクタールで約175ヘクタール、たとえて言えば東京ドーム約37個分もある。バラックと呼ばれる収容施設は、300以上から構成されている。おそらく歴史上有数規模の強制収容所であると言える。 アウシュヴィッツ系施設の象徴的存在として映画や書籍などでよく見られる「死の門」と強制収容所内まで延びる「鉄道引込み線」は1944年5月に完成している。 |