真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 マラガの歴史と街並み 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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■旅程今回はスペイン南部アンダルシア地方の4大都市、マラガ、セビーリャ(セビリアと表記されることもあります)、コルドバ、グラナダを訪れました。出典:グーグルマップ 8月13日(土)の夜に成田を出発し、イスタンブール空港経由で、8月14日(日)のお昼過ぎのマラガ空港に到着し、この日はマラガ泊です。 8月15日(月)朝、マラガを出発し列車でセビリアに移動し、セビリア泊、8月16日(火)朝、セビリアを出発し列車でコルドバに移動し、コルドバ泊、8月17日(水)朝、コルドバを出発し、列車とバス(グラナダ駅が工事中のため代行バス)でグラナダに移動しました。 グラナダには2泊、8月19日(金)にグラナダを出発しバスでマラガに移動します。その日はマラガ泊で、8月20日(土)にマラガ空港を発ち、イスタンブール空港経由で8月21日(日)の夕方に成田空港着です。 9日間(6泊+2機中泊)ですが、グラナダには2泊したためまる1日ありましたが、マラガが午後半日が2回と午前1回、セビリアとコルドバは午後半日のみとあわただしい日程です。 出典:グーグルマップ(大文字、赤丸は筆者) ■マラガの歴史マラガはアンダルシア州、マラガ県に属する地中海に面した人口約56万人の都市です。リゾート地コスタ・デル・ソル(太陽の海岸という意味)の中心地でもあります。コスタ・デル・ソルは、1950年代から国際的な観光地として知られ、イギリス、ドイツ、フランス、北欧などの人々に人気があり、スペインの観光産業にとって最も重要な地域の1つです。 マラガは非常に古い街であることが知られており、フェニキア、ギリシャ、ローマ時代よりさらに前から集落が存在しました。 紀元前1000年頃にはフェニキア人がマラカという都市を建てました。その後、ローマ帝国の一部となり、ローマ帝国衰退後、5世紀には西ゴート王国の支配下に入ります。 8世紀にはウマイヤ朝(イスラム)に征服されて、重要な貿易の中心地となりました。ウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされた後は、ウマイヤ朝の生き残りにより後ウマイヤ朝が建てられます。ウマイヤ朝分裂後のイスラム諸王国(タイファ)の時代には、マラガはグラナダとは独立した王国の首都となりました。 マラガはレコンキスタの最終期1487年にスペインに「再征服」されるまで、約7世紀にわたりイスラムの支配下にありました。 1960年代以降、マラガ経済はコスタ・デル・ソルの観光業により大きく発展しました。 ■マラガの街並みマラガ空港から地下鉄に乗り、成田空港を出発してから約23時間後、マラガ市街のMalaga Centro Alamedae駅に到着しました。地下鉄 Malaga Centro Alamedae駅 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 予定ではここからホテルまでバスで移動するつもりだったのですが、スマートフォンのローミングが繋がらず(後日、現地からauのサポートに電話し、交渉して解決)、検索できなかった上に、バス停には時刻表が見当たらなかったことと、現地を歩いてみるのもいいと考え、約2キロ半の距離を歩くことにしました。 この後、他の都市でも(最終日のマラガを除き)、駅とホテル間は、全て徒歩移動しました。 以下はバス停のバス路線図の一部です。写真では分かりにくいと思いますが、数十の路線があります。バスの本数は多いことが、再度マラガを訪れた際に分かったのですが、異なる路線の同じバス停の位置が離れていたりするため、慣れてないと利用は簡単でない場合があります。ただしグーグルマップで経路検索をすれば、最適な時刻の路線を示してくれるので、初めてでも簡単に利用できます。 マラガ市内のバス路全図(一部) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 バスの乗車の際、現金で支払う場合には、運転手の横にある台に現金を置けば、おつりが必要な場合には、手渡しでおつりを渡してくれるので簡単です。 この日は駅から徒歩でホテルに向かいました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 事前にグーグルマップのマイマップ上に主要な地点の印をつけておきました。この日はスマートフォンが繋がらなかったのですが、印刷したものを持参していました。グーグルマップが使えれば、徒歩、公共交通機関(バス、鉄道)に関わらず、経路と時間を簡単に検索できます。 下記の地図の文字は後からマイマップ上に大きく表示したものです。左端の地下鉄の駅から右端のホテルまで約2キロ半です。 出典:グーグルマップ(大文字は筆者) マリーナ広場を過ぎて、港付近に出ました。下の写真の奥が港です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 地図上のパセル・デオ・パルケの印がありますが、この印の両側に広がる緑の部分一帯がパセル・デオ・パルケで、道路の両側が熱帯植物園のような公園として整備されています。以下はその西端です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 パセル・デオ・パルケの案内図です。案内図にはこの「熱帯植物園」が整備された経緯のスペイン語と英語の説明もありました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 パセル・デオ・パルケの左手の高い丘の上に古城の遺跡が見えます。アルカサバです。後ほどホテルにチェックインしたあと、ここに向かうことになります。下の写真に写っているのは筆者(鷹取敦)です。 撮影:鷹取美加 CASIO EX-ZR700 アンダルシアでは、どの都市でも観光用の馬車を数多く見かけました。マラガでは、パセル・デオ・パルケのまわりと埠頭を周回するコースを走っているようです。暑い日は最高気温38℃くらいあったのですが、湿度が低く過ごしやすい木陰はともかく、炎天下で待たされている馬は気の毒でした。 ちなみに、最高気温は午後3時頃から夜7時頃までと遅い時間まで高い温度が続きます。そのためか、午後2時〜夜7時頃までは、お店や博物館、見学コースなどが閉まっているところが多く、午後中心に回らざるを得ない今回のスケジュールでは不便でした。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 バス停には、そこに停車する路線の番号が表示されています。乗りたい路線が決まっている(分かっている)場合には、番号で確認して乗車することができます。下の写真は6つで1カ所で待てばいいので簡単ですが、地下鉄駅周辺はさらに数が多く、場所も分かれていました。下の写真のように2両連結したバスも走っています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 パセオ・デオ・パルケを抜けたところ(東側)に、マラゲタ闘牛場があります。闘牛は見ませんでしたが、夕方になると老若男女、大勢の人が入場待ちで、夜には闘牛場から出てくる人で賑わっていました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 マラガで初日と最終日に宿泊したホテルです。ちょうどマラガのお祭りの期間だったためか、チェックイン時にホテルとお祭りの名前の入った帽子と扇子をプレゼントされました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 つづく |