真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 コルドバ・メスキータ 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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ローマ橋から振り返るとメスキータが見えます。メスキータの手前(下の写真の左端付近)に見えるのがブエンテ門で、その背後の大きな塀と建物がメスキータです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 グーグルマップで見てみました。下の中央のほぼ正方形に囲まれている部分がメスキータで、下端の中央やや右寄りに見えるのがブエンテ門です。それなりに大きな門なのですが、メスキータが大きすぎるため小さな門に見えます。 出典:グーグルマップ ■ブエンテ門・聖ラファエルの勝利のモニュメントブエンテとはスペイン語で「橋」という意味です。かつてはイスラムの時代に街を取り囲んでいた城壁の一部でしたが、1571年、フェリペ2世の命により造り替えられました。撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の写真の左端に細い塔の上に像のようなものがあります。これはコルドバの守護聖人である大天使サン・ラファエルの勝利のモニュメントです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 拡大すると橋の途中にあったサン・ラファエル像と似た天使の姿であることが分かります。下の写真は右やや背後の側面からの写真です。 この像は17世紀末にベルディゲールによって政策されたもので、バロック様式の具象的な台座上に飾られています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はメスキータを出た後に反対側からみたブエンテ門です。門の中からローマ橋の一部とカラオーラの塔が見えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■メスキータ「メスキータ」とはスペイン語でモスク(ひざまずく場所)という意味ですが、固有名詞としてはコルドバの聖マリア大聖堂を差します。メスキータは技術面、美術面、芸術史への影響という観点からも世界の建築史の頂点に立つ作品です。なお、砂漠での暮らしにはもともと建築の伝統はなく、預言者ムハンマドの時代に、ヤシの木が何本か日影のための覆いを支えているだけの、金曜日の礼拝に集まった中庭が原点です。最初のモスクが造られたのは預言者ムハンマドによる移住(ヒジュラ)の後で、イスラムによる最初の王朝であるウマイヤ朝時代にイスラムの建築の歴史が作られました。 コルドバのメスキータは、西ゴート王国のキリスト教の教会であるサン・ビセンテ教会を取り壊して跡地に造られました。サン・ビセンテ教会は、イスラムのモスクと共同使用されていましたが、ウマイヤ朝が滅びた時の生き残りであり、後ウマイヤ朝を開いたアブド・アッラフマーン1世により買い取られて、キリスト教会は別の地区に建設されることが許可されています。 785年に建設が始められ翌年にはすでにイスラムの金曜礼拝が行われているものの、アブド・アッラフマーン1世が亡くなった時には未完成でした。3回にわたって拡張が行われ2万5千人を収容することができる大モスクとなりました。 新しいモスクであるメスキータは、ローマ帝国時代の廃墟や西ゴートの宮殿から柱頭や柱などを運んで建設されています。これらの古い柱は短い柱を含んでいたため目的の高さを構築できず、当時の建築家達の工夫によりメスキータの独特な空間が創造されました。 848年にアブド・アッラフマーン2世により拡張された部分は、レコンキスタ後にカテドラルに改造されてしまっています。さらに奥には961年にハカム2世により拡張された部分があります。 ブエンテ門を背後に、ラファエルの像を左手にすると、下の写真のように正面にメスキータの一部が見えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はメスキータの南側の高くそびえ立つ壁面です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 なお、モスク内部は本来は明るいはずですが、レコンキスタ後に5つの門以外すべてふさがれています。下は東側の壁面ですが、開口部がふさがれているが分かります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 東側壁面の北寄りの位置に中庭(パティオ)への入口がありました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 回廊からキリスト教会の塔に改築されたミナレット(モスクの尖塔)が見えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 回廊の一部にあるチケット売り場でチケットを購入しました。8ユーロです。チケットを購入した後、建物の方に向かいます。下が入口です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 広大な建物の中に白と赤の2色の二重のアーチがついた柱が林立しています。メスキータといえばこの光景が有名です。柱はイスラム時代は1000本以上あったそうですが、破壊され現存する柱は850本となっています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 奥に行くと下の写真のように、メッカの方向を示すミフラーブ(聖龕〈せいがん〉)があります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 壁面にはキリスト教の絵画やキリスト教の祭壇等があります(下の2枚)。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 天井はこのようになっています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 場所によって天井の様子が違います。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真に床がガラス面になっているのが分かると思います。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ガラスの下に遺構が見えるようになっています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 遺跡の一部を展示してあるスペースもあります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はカテドラルの主祭壇です。主祭壇のある部分はキリスト教スタイルに大きく改造されています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 主祭壇に向かう聖歌隊席です。右上にパイプオルガンも見えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 主祭壇と壁際の祭壇等以外は、ひたすら柱の林が続いています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 メスキータから出ました。下は南西角からみたメスキータの外観です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 この後、アルカサルに向かいます。予定としてはアルカサル、アラブ浴場、シナゴガ(シナゴーグ)、アルモドバル門、花小路等を訪れるつもりでしたが、そろそろいろいろなところが閉館になる時間で、入れないところがありました。 つづく |