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真夏のスペイン

スペイン・アンダルシア短訪

コルドバの歴史と街並み

鷹取敦

掲載月日:2016年9月15日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
  1 歴史的背景 付 滞在中の個人線量記録
マラガ 8/14 2 歴史と街並み | 3 ヒブラルファロ城 | 4 アルカサバ
8/19 5 カテドラル | 6 ピカソ美術館・ピカソの生家 | 7 フェリア・デ・マラガ
8/20 8 アタラサナス中央市場
セビリア 8/15 9 歴史と街並み | 10 アルカサル | 11 カテドラル
| 12 マエストランサ闘牛場・黄金の塔 | 13 スペイン広場
コルドバ 8/16 14 歴史と街並み | 15 ビアナ宮殿 | 16 ポトロ広場・ローマ橋
| 17 メスキータ | 18 アルカサル・シナゴガ・アルモドバル門 | 19 灯火のキリスト広場
グラナダ 8/17 20 歴史と街並み | 21 サンタ・アナ教会・アルバイシン地区 | 22 カテドラル・マドラサ
| 23 アルハンブラ・庭園 | 24 アルハンブラ・宮殿 | 25 フラメンコ

 朝7時前にホテルを出て駅に向かいました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 7時30分前にセビリア駅に到着したころ、ようやく空が明るくなってきました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ホテルで朝食を取らなかったので、駅でサンドイッチと飲み物のセットを購入しました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 8時45分にセビリアを出発し、9時27分にコルドバに到着するマドリード行きのAVEに乗ります。

 「セビリアの街並み」のRenfe(スペインの国有鉄道)で紹介したように、AVE(アベ)はスペインの国有鉄道Renfeの特急で、長距離を結ぶ高速列車です。セビリア博覧会に合わせて、セビリア−マドリード間の471kmが開通したのがはじまりです。

 今回乗車するのは、このマドリード行きのAVEで、コルドバで下車します。先頭車両がカモノハシのように長く伸びているのが、日本の新幹線に少し似ています。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 マラガからセビリアに来るときには下の地図の赤い区間をAVANT(短距離を結ぶ高速列車)でコルドバ経由で来ましたので、コルドバまで同じ路線をAVEで戻ることになります。


出典:グーグルマップ(大文字、赤線等は筆者)

■コルドバの歴史

 セビリアはアンダルシア州、コルドバ県の県都、人口約30万人の都市です。グアダルキビル川でセルビアと結ばれています。

 かつての後ウマイヤ朝の首都でした。メスキータやユダヤ人街を含む歴史地区が世界遺産として登録されています。

 「メスキータ」とはスペイン語でモスクという意味ですが、固有名詞としてはコルドバの聖マリア大聖堂を差します。このメスキータについては後で紹介いたします。

・ローマ帝国時代

 ローマ帝国は紀元前206年にコルドバに達し、紀元前169年には植民地としました。ローマ帝国時代には、イスパニア・ウルテリオールの都として元老院の直轄地に、その後、属州ヒスパーニア・バエティカの首都となり、ローマ寺院やローマ橋などの遺跡を残しています。紀元前3世紀にディオクレシウスにより首都はコルドバからイスパリス(セルビア)に遷されました。

・イスラム時代

 西ゴート王国時代を経て、711年にイスラムのウマイヤ朝に西ゴート王国が征服されました。ウマイヤ朝の後、ウマイヤ朝の生き残りであるアブデルラーマン1世によって756年に成立したマイヤ朝時代にはコルドバが首都とされて繁栄しました。

 10世紀初頭にアブデルラーマン3世は、反乱を根絶し、カリフを宣言し、北アフリカまで領土をひろげました。コルドバは世界最大の人口の大都市となっています。100年にわたる絶頂期はアブデルラーマン1世から3世の三代にわたるメスキータの拡張にもあらわれています。

 カリフ王国は1013年に分裂、1031年に消滅し、複数の「タイファ」と呼ばれる独立小国が割拠する時代となります。

 ヨーロッパが暗黒の中世と呼ばれていた時代に、コルドバにはイスラムによって古代ギリシアやローマの文献がアラビア語によって伝えられています。これが11〜13世紀にはラテン語に翻訳されてキリスト教世界に伝わることとなります。

・レコンキスタの時代

 カスティーリャ王国のフェルナンド3世は、1236年にコルドバ攻略、1248年にセビリアを攻略し、キリスト教徒の支配下に入りました。グラナダ王国の攻略はカトリック両王の時代の1492年まで時代を下ります。これをもってレコンキスタが終了しました。

・キリスト教国時代

 レコンキスタが終了するとイスラム勢力はイベリア半島から追われ、メスキータは増築されカトリック教会となりました。

■コルドバの街並み

 ダイヤどおり9時26分にはコルドバ駅に到着しました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 コルドバ駅の裏手の出口から出て駅舎のに沿って歩き、正面(下の写真)に出ました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 事前にグーグルマップのマイマップ上に主要な地点の印をつけておきました。セビリアのホテルで日本のauのサポートまで1時間近く電話をして、この日は問題が解決していたため、スマートフォンのグーグルマップが使用できました。

 下記の地図の文字は後からマイマップ上に大きく表示したものです。左上の駅か上部やや右寄りのホテルまで約1.6キロです。


出典:グーグルマップ(大文字は筆者)

 上の地図の左寄りに上の駅の付近から下までつながっているのがヴィクトリア公園です。ホテルに向かうには駅を出てまずビクトリア公園を横断します。ヴィクトリア公園を南の方に行くとアルモドバル門やセビーヤ門などがあります。アルモドバル門には後ほど行っています。

 下の写真はビクトリア公園内です。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 公園から街中に出ました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 駅から線路に平行に東に歩くと下の写真のメルセ公園に着きました。公園の南側を通って南下します。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下は、メルセ公園の西側向かいにある議会の建物です。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 メルセ公園を市民が通り抜けています。時間は朝の10時頃です。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 灯火のキリスト広場(カプチーノス広場)のある一角の外側の角で右折しました。下の写真がその角なのですが、プエルタ・デル・リンコン広場といいます。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 像の横のパネルには、「Escultura Donada por Cervezas ALHAMBRA」(アルハンブラビールにより寄贈された像)と書いてありました。ユネスコの世界遺産の手描きのようなマークも入っています。

 城郭のような建物の横に植木鉢の植物に水をやる女性の銅像が立っています。隣にいるのが筆者(身長172cm)です。


撮影:鷹取美加 CASIO EX-ZR700

 白い壁、細い路地の街並みです。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 この先は時間帯によって車の通行が規制されているようです。信号があるので片道交互通行のようにも見えますが、検問のように人が立っていてドライバーになにか提示を求めているような光景もありました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ホテルの近くで遺跡の発掘?のような現場がありました。作業員が数人塀の中で何か作業していたので気になっていたのですが、夕方に通りがかった時にのぞいてみあところ下の写真のような状況でした。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 10時15分にホテルに到着しました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 コルドバもこの日の午後のみしか時間がありませんので、この後、荷物を置いてすぐに出発します。まずはホテルからほど近いところにあるビアナ宮殿に向かいました。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 石畳が印象的な古い街並みです。


撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


撮影:鷹取美加 CASIO EX-ZR700

 ビアナ宮殿には5分ほどで到着します。


つづく