真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 マラガ・アルカサバ 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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■アルカサバローマ帝国の要塞の跡に、イスラム教徒であるムーア人(ベルベル人)によって11世紀に築かれました。アルカサバに隣接してローマ帝国時代の劇場の遺跡が残されています。後ウマイヤ朝が衰えた後、11世紀にベルベル人によるイスラムの王朝であるズィーリー朝によって支配されていました。ベルベル人は北アフリカの地域に古くから住む人々です。11世紀後半から12世紀にはベルベル系のムラービト朝、12世紀から13世紀にはベルベル人のムワッヒド朝、13世紀からはレコンキスタによりカトリック両王※に滅ぼされ「再征服」されるまで、グラナダを首都とするナスル朝によって支配されています。 ※カトリック両王:カスティーリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世、1469年に結婚し同君連合国家としてスペインが誕生、ローマ教皇アレクサンデル6世に「カトリック両王」の称号が授けられました。 14世紀までのイスラムの時代、レコンキスタ後の18世紀までのキリスト教国による支配の後、アルカサバは放棄されていました。 20世紀初頭に、廃墟と化していたアルカサバは、グラナダのアルハンブラ宮殿の修復も手がけた建築家レオポルド・トーレス・バルパ(1888年〜1960年)により修復されます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の写真は、アルカサバのエントランスの手前から撮った写真です。 アルカサバの入口に到着したのが夕方5時14分です。アルカサバは9時〜20時まで開いており、最終入館時刻は19時30分です。 ここにも模型がありました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ヒブラルファロ城から見た「下の城」であるアルカサバは平地にあるように見えていましたが、下の写真からわかるように城内は急な坂道となっています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 中の庭園は手入れされていて、現在も使われている屋敷や宮殿の庭園であるかのようです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 地面の中央には、水が流れています。地盤面の高いところから低いところに向かって水が流されており、一部は地下を通っています。このように中央の溝に水を通すのは、イスラム中庭(パティオ)によく見られます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 アルカサバの敷地内を登っていくと、港が見晴らせる場所に出ます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 建物の壁面をみると、煉瓦と石を組み合わせて建築されているようです。建材である石を節約するために煉瓦を併用しているのかもしれません。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 建物の中に、アルカサバ全体の模型がありました。岩山の上のようなところに建築されていることが分かります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真の奥に見える山の上にヒブラルファロ城があります。2つの要塞をつなぐ城壁が見えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下は壁と天井の一部を拡大した写真です。壁はイスラム風の幾何学模様です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 典型的な中庭(パティオ)です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 発掘された陶器等が室内に展示されています。また発掘された当時の様子の説明パネルなどもありました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ロープの内側はオリジナルの床です。見学者が歩いているまわりの煉瓦の部分は、復元時に施工されたもののようです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 発掘された壁の一部のみが復元されています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 復元の説明板に示された写真と、見学した敷地内や建物の様子を比較すると、かなり思い切って復元されているものと思われます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■ローマ劇場アルカサバのふもとに1951年に発掘された半径31m、高さ16mのローマ劇場があります。この劇場が造られたのは紀元1世紀アウグストゥス帝時代のことで、3世紀まで使用されていました。イスラムが征服した後、新たな建造物を建てる際に、ローマ劇場の一部をアルカサバの部材として利用しました。劇場の柱の柱頭や胴の部分が、アルカサバの出入口の馬蹄型アーチに姿を変えました。(参考) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 アルカサバから出て右に折り返す道を行くと、広場の前にローマ劇場があります。工事中のためか敷地内には入れませんでしたが、広場から見ることができます。 上の写真は、アルカサバに入場する前に撮ったものですが、標識に右がアルカサバ(ALCAZABA)、左がローマ劇場(TEATRO ROMANO)とあるのが分かります。 アルカサバはローマ帝国の要塞の跡に作られており、隣にはローマ劇場の遺跡がありました。写真の上部の城壁はアルカサバのものです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ピラミッド状のガラスの下に遺跡をのぞき見ることができます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■マラガの街18時前です。マラガ到着以来、食事もせずにヒブラルファロ城の山に登り、アルカサバの城内の坂道を上り、歩き続けていたため、夕食代わりに軽食を取ることにしました。この時間は、食事する人々で賑わっています。海外からの観光客というよりも、スペインの人、地元の人が多いような印象を受けます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真は左上から時計回りで、モヒート、ハモン・セラーノ、ロシアンサラダ(ツナ・ポテトサラダ(スペイン語でエンサラディージャ・ルサ)です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 行き交う人々、食事をする人々、踊る人、歌う人などで大変賑やかです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ホテルに帰る途中、マラゲタ闘牛場の前を通ったところ、入場を待つ人が長蛇の列となっていました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 翌日にはセビリアに移動です。8月19日の午後にグラナダからマラガに戻り1泊し、8月20日のマラガ空港からイスタンブール空港経由で成田に発ちました。 つづく(8月19日のマラガへ) つづく(8月15日のセビリアへ)時間順の場合 |