真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 セビリア・カテドラル 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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アルカサラから出て、さきほど前を通ったときには入場できそうもなかったカテドラルに戻ってみました。 ■カテドラル(セビリア大聖堂)およびヒラルダの塔イスラムの大モスクが壊された跡に建てられた大聖堂です。「後世の人々が正気の沙汰ではないと思うほど巨大な聖堂を建てよう」と1401年に決定され建設が開始され、およそ1世紀後の1519年に完成したカテドラルです。モスクは壊されましたが、建物にはモスクの名残が見られます。(参考)スペインでは最大、ヨーロッパの聖堂としては、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ大きさです。 黄金色の木製祭壇、コロンブスの墓、聖歌隊席、サン・アントニオ礼拝堂などが見所と言われています。 カテドラルの横にあるヒラルダの塔は12世紀末ムワッヒド朝時代に大モスクのミナレット※として建築された高さ97mの塔です。16世紀にプラテレスコ様式の鐘楼が付け加えられています。先端のブロンズの女性像は風を受けて回転するためヒラルダ(風見)と呼ばれているそうです。高さ70mの展望台まで馬で駆け上がれるようにらせん状のスロープになっています。 ※ミナレット:モスクやマドラサなどのイスラム教に付随する塔で、塔の上から1日5回の礼拝を呼びかけるアザーンが流されます。 下の写真(再掲)はヒラルダの塔です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ヒラルダの塔の先端を拡大すると女性像の風見(ヒラルダ)が見えます。 撮影:鷹取美加 CASIO EX-ZR700 手前の街灯(?)がじゃまをしていますが、背後の建物がカテドラルです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取美加 CASIO EX-ZR700 上の写真の左側が下の写真です。丸井壁面と平らな壁面の間に足場が立ち上がっているのが分かります。修繕工事中でしょうか。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 カテドラル正面に回りました。足場とメッシュで完全に見えなくなっています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 入れそうもないので反対側の側面(ヒラルダの塔のある側面の反対側)に回りました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 側面入口の彫刻です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 側面入口です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の写真の側面と平行してLRT(路面電車)が走っています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の写真の位置から振り返ったカテドラルです。この場所からみるとカテドラルの巨大さがよく分かります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 カテドラルの入口に戻ってみたところ、なんと列が出来てました。しかもアルカサルを上回る長蛇の列です。他にも訪れる予定の場所があったため、入場は断念しました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 カテドラル前の石畳を洗浄しています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■インディアス総合古文書館下の写真はカテドラルと隣接したインディアス総合古文書館です。ヒラルダの塔とカテドラルとこの古文書館の3つセットで世界遺産として登録されています。フェリペ2世がエル・エスコリアル修道院を手がけた建築家フアン・デ・エレーラに命じて1572年に商品取引所として造られたルネッサンス様式の建物です。 1785年にカルロス3世の命でインディアス枢機会議が置かれることになりました。米国大陸やフィリピンにおけるスペイン帝国の歴史史料郡が収められています。米国大陸の初期の探検家であるコンキスタドール達のものから19世紀末までの手書きの文書が豊富に収蔵されています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 この跡、マエストランサ闘牛場、黄金の塔、宮殿、スペイン広場に歩いて移動します。 つづく |