真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 コルドバ・ アルカサル・シナゴガ・アルモドバル門 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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■カトリック両王のアルカサル元々は西ゴート王国の要塞が存在していました。西ゴート王国滅亡後は、ウマイヤ朝のアミールによって要塞が再建されています。アッバース朝によりウマイヤ朝が滅亡し、ウマイヤ朝の生き残りであるアブド・アッラフマーン1世がコルドバで後ウマイヤ朝を建てた後、王宮として用い、コルドバは繁栄しました。レコンキスタによりコルドバが陥落した後、イスラムの要塞跡地に、カスティーリャ王のアルフォンソ11世の命により1328年に建築され、15世紀末にはグラナダのイスラム勢力を攻略する際の拠点となっています。 レコンキスタ後には、アメリカ大陸を「発見」したコロンブスが資金援助を仰ぐためアルカサルでカトリック両王に謁見しています。後に宗教裁判でも用いられました。 アルカサルはスペイン独立戦争の時も要塞として用いられています。1821年には刑務所となりました。 アルカサルはグアダルキビル川に面しており、メスキータから見て下流側にあります。下の写真の左奥がグアダルキビル川です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 川から上ってきて左折して、下の写真の右奥にある入口に向かいます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 入口に Alcazar de los Reyes Cristianos (キリスト教徒の王達のアルカサル)と書いてあります。カトリック両王のアルカサルと表記されることも多いようです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の写真の時刻をみると14時31分となっていますが、アルカサルの開館時間は14時30分までで、残念ながら入館できませんでした。なお、入館料は4.5ユーロです。 エントランスから見える像(下の写真)は、アルカサル建設を命じたアルフォンソ11世です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 次に少し北上してアラブ浴場に向かいますが、ここも残念ながら閉館時間でした。なお、アラブ浴場は地下にあるイスラム時代の遺跡です。入場料は2.5ユーロで10分ほどで見学できるそうです。下の写真がアラブ浴場の入口です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 出典:グーグルマップ(大文字は筆者) 北上してアルモドバル門に向かいました。アラブ浴場のあたりから北上してアルモドバル門あたりまで下の写真のように城壁が保存されています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■シナゴガ(シナゴーグ)ユダヤ人はイスラム時代には経済を支える存在として厚遇されていましたが、レコンキスタ終了後、1492年のユダヤ人追放令によって追放され、キリスト教に「改宗」したユダヤ人もその改宗が疑われ異端審問により迫害されました。ユダヤ教からキリスト教が分かれた時に、ローマ帝国内のユダヤ教のシナゴーグがその後のキリスト教の教会の前身となりましたが、その役割はやや異なります。 アラブ浴場からアルモドバル門に向かう途中の城壁近くに、1315年(ユダヤ歴5075年)に建てられたかつてのユダヤ教の会堂であるシナゴガ(シナゴーグ)が保存されています。漆喰の装飾等を見ることができます。1492年のユダヤ人追放令以降、アンダルシア地方で唯一保存されているシナゴガです。スペインでは他に2つのシナゴガが保存されていますがいずれもトレドにあります。 ポトロ広場からこの城壁のあたりまではかつてのユダヤ人街として知られています。 北上する途中の門を入ったところに、コルドバ出身の著名なユダヤ教のラビ(宗教的指導者・学者)であり哲学者のマイモニデス(モーシェ・ベン=マイモーン)の像がありました。この下にマイモニデスの墓があります。マイモニデスは「モーシェの前にモーシェなく、モーシェの後にモーシェなし」と称賛され、ルネサンスのヒューマニズムの先駆者と評価されています。(参考) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 マイモニデスの像の隣の入口がシナゴガです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 壁面には漆喰の装飾が保存されています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 シナゴガを出てさらに北に向かいます。ユダヤ人街特有の白い壁の細い道です。規則により建物の色は白か素材の色だけと制限されているそうです。アンダルシア地方に多い、狭い路地や白い色は暑さを防ぐためのもののようです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■アルモドバル門アルモドバル門は城壁の西門の1つを構成している後ウマイヤ朝の門です。門の外には庭園があり、ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師であり、その後、ブレーンとして支えた哲学者、政治家、詩人でもあるコルドバ生まれのルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃 〜紀元後65年4月)の像があります。アルモドバル門に到着しました。下の写真は城壁の内側です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 城壁の外側からみたアルモドバル門と、セネカの像です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 門の右手を見ると南側に向かって城壁が続き、その外側が庭園となっているのが分かります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 世界遺産の標識です。コルドバの歴史的な中心地である旨が表示されています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 城内に戻り東に向かいます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 細い道が多いため、このくらいの広さの道を自動車が通り抜けるのは日常茶飯事のようです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 枢機卿ペドロ・デ・サラザール(1630年〜1706年)は、大聖堂聖歌隊の子供のための学校を建設するためサン・ペドロ・デ・アルカンタラ修道院の正面の土地を取得していましたが、1701年、病院を建設しました。1970年代半ばに建物がコルドバ大学の哲学と文学部になるまで病院として使用さました。(参考) 下はサン・ペドロ・デ・アルカンタラ修道院です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下がその正面に建つサラザール聖堂病院(現コルドバ大学)です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 時刻は15時14分、最も暑い時間帯に入っていますが、通りには大勢の人が出ています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■花小路メスキータのすぐ近くまで戻りました。メスキータの北東角の北側に有名な花小路があります。下の写真の短い区間が花小路です。残念ながら花の季節ではありませんでしたが、よく手入れされた花の鉢が壁に飾られています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真では、路地の先にはメスキータの ミナレット(尖塔)が見えます。花の季節には白い壁、美しい花の間にミナレットが見えることで名所となっているようです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 この後、一旦ホテルに戻ります。 つづく |