真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 グラナダ・フラメンコ 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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アルハンブラから徒歩で街の中心部、カテドラルやホテルのある方に向かいます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■Corral del Carbonイザベル・ラ・カトリカ広場の先(西南近く)に、Corral del Carbon (Coal House=炭の家)があります。下の写真は前日通りかかった時に撮影したものですが、イスラム様の建物で見学できそうだったので翌日(つまりこの日)入ってみたいと思っていました。グラナダにあるイスラム時代の最古の現存する建物です。14世紀にユースフ1世によって貯炭場、倉庫、商人の休憩所などの目的で造られました。16世紀にはキリスト教徒によって引き継がれ、講演の舞台として用いられました。(参考) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 入口天井の装飾も見事です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 現在はフラメンコの舞台等として使われています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 漆喰の装飾が残っている部分があります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 翌日、マラガに移動するために長距離バスに乗りますが、長距離バス乗り場まで移動するバス停を確認しにいきました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 右側のSN1が長距離バス乗り場(ESTACION DE AUTOBUSES 2)行きのバスです。このバス停には4路線(CN1、SN1、SN3、SN4)のバスが停車します。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 気温は37℃です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■ロマ族とフラメンコアルハンブラの北側にはイスラム教徒により築かれた旧市街アルバイシンと、サクロモンテの丘が広がっています。サクロモンテの丘には今でも洞窟にロマ族が住んでいます。ロマ族は北インドを起源とし、15世紀初頭にスペインに流れ着いた流浪の民です。キリスト教社会になじまないため、15世紀にはキリスト教国はロマ族に対して同化政策として「ヒターノ迫害令」を打ち出しました。 一方、改宗を強制されたイスラム教徒(モリスコ)は、17世紀初頭に「モリスコ追放令」によって追放されます。モリスコ追放令の後、ロマ族の人口が急激に増えたことから、追放されたモリスコの一部をロマ族が受け入れたようです。 ロマ族(ヒターノ)が改宗イスラム教徒(モリスコ)の踊りや音楽を取り入れて18世紀にその原型が出来たのがフラメンコと言われています。(参考) 19時30分頃、再度ホテルを出て、夕食とフラメンコに出かけました。朝から午後までのアルハンブラツアーとセットですが参加者は全く違い、人数も7名と少人数でした。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 バスでアルバイシンの丘を登っていきます。上の写真のようにバスと乗用車がすれ違い可能とは思えないような細い道を巧みに運転して進みます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はサクロモンテの丘の洞窟の住居です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真が目的地、サクロモンテにある洞窟タブラオ「ベンタ・エル・ガリョ」です。「タブラオ」とはフラメンコのステージを意味します。ここは団体客は受け付けず、7名が最大人数なのだそうです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真の2階部分のテラスがレストランです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 レストランのテーブルの上に置かれたグラスの水面が傾いているのが分かります。テラスの床面が崖下の方向に向かってやや傾いているのです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 夕日に照らされたアルハンブラ宮殿がよく見えます。ほぼ同じ標高のように見えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下は左上は野菜のクリームスープ、右上がガスパチョ、左下はローストポークで、右下(デザート)の名前は忘れてしまいました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 21時頃まで食事をした後、1つ階を降りて洞窟の中の舞台でフラメンコを鑑賞しました。幸い最前列の一番左の席に着くことができました。 下の写真は右端の男性がギターで楽器はこれだけです。中央の男性と左の男性はヴォーカルです。左側には女性のダンサーが2人と男性のダンサーが2人控えています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 3人で踊るパートと1人ずつ踊るパートがあります。事前に何をやるか決まっているわけではないようで、中央のヒゲのヴォーカルの男性を中心に言葉を交わしながら進めていました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 左に控えている人達も重要な役割があります。手拍子と足拍子がパーカッションとなっているのですが、とても迫力のある大きな音量です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 情熱的な踊り、歌と巧みな手拍子、足拍子がとても迫力があります。動画も撮影したのですが、動画ではその迫力はとても伝わらないと感じました。踊りの一部には歌舞伎の見得のようなポーズがあり、また(観客からでなく出演者からですが)かけ声もあり、少しだけですが共通するものを感じました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 22時過ぎにフラメンコが終わり外に出たところ、ライトアップされたアルハンブラ宮殿が暗闇に浮き上がっていました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 翌朝、長距離バスでマラガに向かいました。グラナダからマラガまで11.43ユーロです。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■アンダルシアを訪れてマラガに戻ってからについては、先にご紹介いたしましたので、アンダルシア短訪はこれで終わりです。昨年(2015年)8月にバルセロナ、マドリード、セゴビアを訪れた時から、是非スペイン南部、イスラムの影響が色濃く残ったアンダルシア地方を訪れてみたいと考えていました。 911のテロ以降、特に昨今は、日本ではイスラムといえば、ISISなどのイスラム過激派や、トルコのクーデター等、ぶっそうなニュースしか報道されません。イスラムと言えば、日本や先進国からは縁遠いイメージを持たれることが多いのではないかと思います。 ところが少し歴史を遡ると、ギリシア・ローマの文明・文化は、イスラムを通して西欧に伝わっています(当時はイスラムが先進国で西欧は野蛮な地域でした)。また、イスラムの支配下で共存していたイスラム教徒(ムスリム)、ユダヤ教徒、キリスト教徒が、レコンキスタの後、キリスト教の支配の後は、イスラム教徒やユダヤ教徒が迫害された歴史もあります。 現代社会で起きていることを理解する時に、報道されている断片的な情報による偏見があるのではないか、立ち止まって考える必要があると感じていました。 スペイン、特にアンダルシア地方は、このような歴史的な出来事の中心地の1つであり、歴史的の流れを理解した上で、史跡を訪れることで、現代社会を理解することの一助になったのではないかと思います。実質1週間足らずの滞在で、そのほんの一部に触れただけですが、アンダルシアはこのような複雑な歴史をその地域の文化に取り込んだ大変魅力的な地域でした。 ところで、昨年に引き続き、東京を出てからスペイン滞在、そして東京に戻るまでの間、個人線量計で1時間毎に放射線量率(1時間平均値)を自動的に記録しておいたので最後に紹介します。海外に行くときには出来るだけ個人線量計を身につけておくようにしています。 つづく(滞在中の個人線量記録へ) つづく(8月19日のマラガへ)時間順の場合 |