1日目 はじめに 八幡塚古墳 二子山古墳 薬師塚古墳 大鶴巻古墳 浅間山古墳 観音塚古墳
上野国一社八幡宮 八幡宮2 八幡宮3 達磨寺1 達磨寺2 達磨寺3 達磨寺4 達磨寺5
2日目 小栗の里 大室公園 前二子古墳 中二子古墳 後二子古墳 小二子古墳 民家園1
民家園2 民家園3 民家園4 民家園5 民家園6 民家園7 民家園8 埴輪1 埴輪2
はにわ館 宝塔山古墳 秋元氏歴代墓地 虻穴山古墳 総社歴史資料館1 資料館2 資料館3
資料館4 資料館5 資料館6 資料館7 資料館8 資料館9 資料館10 資料館11
愛宕山古墳 遠見山古墳 山王廃寺 まとめ
以下に視察した古墳の概要を整理しました。一部の円墳を除き残りはすべてが前方後円墳、墳丘長は最長171.5m、最高高さは14.8mです。なお、墳丘長171.5mは大鶴巻古墳、高さの最高の14.8mは中二子古墳です。さらに再部分が横穴式石室であり、つくられたの5世紀後半から8世紀前半と推定されています。
2019年8月の調査では未了だった群馬県太田市にある天神山古墳(太田市内ヶ島町)は墳丘長が210mあり、群馬県の古墳(前方後円墳)の最大規模となっています。これは後述するように、関西にある天皇陵(古墳)に匹敵する規模と言えます。
古墳名 |
主要形状 |
墳丘長(m) |
所在自治体 |
高さなど |
石室形状など |
次期 |
八幡塚古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長102m |
高崎市 |
後円部径56m、高さ現存約6m、前方部幅53 |
後円部に舟形石棺と砂利層 |
5世紀後半から6世紀前半 |
二子山古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長108m |
高崎市 |
後円部径74m、高さ10m、墳丘部が三段築成、前方部幅71m、高さ7m |
川原石積み竪穴式石室 |
|
薬師塚古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長105m、 |
高崎市 |
高さ6m |
後円部頂上に凝灰岩をくりぬいた船形石棺 |
5世紀後半から6世紀前半 |
大鶴巻古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長171.5m |
高崎市 |
鷹さ10.5m |
横穴式石室 |
4世紀後半から5世紀前半 |
浅間山時古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長171.5m |
高崎市 |
高さ14m |
横穴式石室 |
4世紀後半から5世紀前半 |
観音塚古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長105m |
高崎市 |
高さ12m |
横穴式石室 |
6世紀末から7世紀前半 |
前二子古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長94m |
前橋市 |
後円部径68m・高さ14m 前方部幅65m |
横穴式石室 |
6世紀前半 |
中二子古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長111m |
前橋市 |
後円部径66m・高さ14.8m |
横穴式石室 |
6世紀前半 |
後二子古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長85m |
前橋市 |
後円部径48m・高さ11.1m |
横穴式石室 |
6世紀後半 |
小二子古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長38m |
前橋市 |
|
横穴式石室 |
6世紀後半 |
(M-1号墳)
内堀1号墳 |
前方後円墳 |
全長36.2m |
前橋市 |
|
横穴式石室 |
6世紀後半 |
(M-4号墳)
内堀4号墳 |
円墳 |
全長20.2m |
前橋市 |
|
横穴式石室 |
後半6世紀 |
宝塔山古墳 |
前方後円墳 |
一辺約60m(周掘を含め一辺100mを超える |
前橋市 |
墳丘高12.4メートル |
横穴式石室 |
7世紀後半 |
虻穴山古墳 |
前方後円墳 |
一辺約39m |
前橋市 |
墳丘高5m |
横穴式石室 |
7世紀末から8世紀前半 |
愛宕山古墳 |
前方後円墳 |
一辺約56m |
前橋市 |
墳丘高8.5m |
横穴式石室 |
7世紀前半 |
遠見山古墳 |
前方後円墳 |
墳丘長70m |
前橋市 |
|
横穴式石室 |
5世紀後半 |
参考:関東の古墳 大室古墳群 大室公園
なお、日本全体で見ると、大阪府堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇古墳)の525mを最長として、墳丘長200m以上だけで以下のように33古墳があります。これらの多くは天皇陵です。
一方、群馬県の古墳で最大の210mは地方豪族の王の古墳であるわりには、かなり規模が大きいものと思われます。この天神山古墳は以下の日本の大規模古墳一覧でも26位に入っていますが、関西以外で200m以上の古墳はは群馬県の天神山古墳(群馬県太田市)だけです。
以下の天皇陵など大型古墳がつくられた時期は、前期(3世紀中ごろから4世紀後半)、中期(4世紀末から5世紀後半)、後期(5世紀末から6世紀末)となっていますが、群馬の古墳は4世紀後半から8世に前半までで、天皇陵の後期が、群馬の古墳の初期に相当します。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵) 大阪府堺市
出典:WikimediaCmmons
天神山古墳(群馬県太田市)
出典:WikimediaCmmons
順位 |
古墳名 |
所在地 |
旧国 |
時代 |
時期 |
墳丘長
(m) |
治定陵墓名 |
1 |
大仙陵古墳 |
大阪府堺市 |
和泉 |
中期 |
5C前・中 |
525 |
仁徳天皇 |
2 |
誉田御廟山古墳 |
大阪府羽曳野市 |
河内 |
中期 |
5C初 |
425 |
応神天皇 |
3 |
上石津ミサンザイ古墳 |
大阪府堺市 |
和泉 |
中期 |
5C前 |
365 |
履中天皇 |
4 |
造山古墳 |
岡山県岡山市 |
備前 |
中期 |
5C前 |
360 |
|
5 |
河内大塚山古墳 |
大阪府松原市・羽曳野市 |
河内 |
後期? |
6C後 |
335 |
|
6 |
見瀬丸山古墳 |
奈良県橿原市 |
大和 |
後期 |
6C後 |
318 |
|
7 |
渋谷向山古墳 |
奈良県天理市 |
大和 |
前期 |
4C後 |
302 |
景行天皇 |
8 |
土師ニサンザイ古墳 |
大阪府堺市 |
和泉 |
中期 |
5C後 |
288 |
|
9 |
仲津山古墳 |
大阪府藤井寺市 |
河内 |
中期 |
5C前 |
286 |
仲姫命 |
9 |
作山古墳 |
岡山県総社市 |
備前 |
中期 |
5C中 |
286 |
|
11 |
箸墓古墳 |
奈良県桜井市 |
大和 |
前期 |
3C中・後 |
276 |
倭迹迹日百襲媛命 |
11 |
五社神古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
前期 |
4C後・5C初 |
276 |
神功皇后 |
13 |
ウワナベ古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
中期 |
5C中 |
265 |
|
14 |
市庭古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
中期 |
5C後 |
250 |
平城天皇 |
15 |
行燈山古墳 |
奈良県天理市 |
大和 |
前期 |
4C前 |
242 |
崇神天皇 |
16 |
室宮山古墳 |
奈良県御所市 |
大和 |
中期 |
5C前? |
240 |
|
17 |
岡ミサンザイ古墳 |
大阪府藤井寺市 |
河内 |
後期 |
5C後 |
238 |
仲哀天皇 |
18 |
西殿塚古墳 |
奈良県天理市 |
大和 |
前期 |
4C前 |
234 |
手白香皇女 |
19 |
メスリ山古墳 |
奈良県桜井市 |
大和 |
前期 |
4C前 |
230 |
|
20 |
市野山古墳 |
大阪府藤井寺市 |
河内 |
中期 |
5C後 |
227 |
允恭天皇 |
20 |
太田茶臼山古墳 |
大阪府茨木市 |
摂津 |
中期 |
5C前 |
227 |
継体天皇 |
22 |
宝来山古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
前期 |
5C初 |
226 |
垂仁天皇 |
23 |
墓山古墳 |
大阪府羽曳野市 |
河内 |
中期 |
5C前 |
224 |
|
24 |
佐紀石塚山古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
前期 |
4C後・5C前 |
220 |
成務天皇 |
25 |
ヒシアゲ古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
中期 |
5C前 |
218 |
磐之媛 |
26 |
太田天神山古墳 |
群馬県太田市 |
上野 |
中期 |
5C中・後 |
210 |
|
27 |
佐紀陵山古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
前期 |
4C後・5C初 |
208 |
日葉酢媛 |
27 |
桜井茶臼山古墳 |
奈良県桜井市 |
大和 |
前期 |
4C初 |
208 |
|
27 |
築山古墳 |
奈良県大和高田市 |
大和 |
中期 |
4C末・5C前 |
208 |
|
30 |
コナベ古墳 |
奈良県奈良市 |
大和 |
中期 |
5C前 |
204 |
|
30 |
巣山古墳 |
奈良県北葛城郡広陵町 |
大和 |
中期 |
4C末・5C前 |
204 |
|
32 |
津堂城山古墳 |
大阪府藤井寺市 |
河内 |
中期 |
4C後・末 |
202 |
|
33 |
新木山古墳 |
奈良県北葛城郡広陵町 |
大和 |
中期 |
5C前 |
200 |
|
33 |
摩湯山古墳 |
大阪府岸和田市 |
和泉 |
前期 |
4C後 |
200 |
|
33 |
西陵古墳 |
大阪府泉南郡岬町 |
和泉 |
中期 |
5C中 |
200 |
|
33 |
神明山古墳 |
京都府京丹後市 |
丹後 |
中期 |
5C |
200 |
|
※ |
島の山古墳 |
奈良県磯城郡 |
大和 |
前期 |
4C末 |
200~ |
|
出典:日本の大規模古墳一覧 Wikimedia
ところで、今回視察した古墳の保存状況ですが、保渡田古墳群及び大室古墳群は、いずれも古墳本体のみならず周辺地域を含め都市公園などとして、広域的に保存管理していましたが、他の古墳はいずれも、古墳の本体の一部(円墳)部分が保存されているだけで、前墳(長方形部分)などは、田畑ないし住宅地などとなっていました。
これは古墳周辺が市街化されていることによるものですが、県や市が率先して、さまざまな土地利用、都市計画手法などをもちい古墳及びその周辺を保全することが望まれます。
なお、埴輪及び出土品については、大室公園の民間園のはにわ館2階に前二子山古墳からの出土品やそのレプリカを展示しており、総社町歴史資料館でも類似の展示がなされていたことはさまざまな意味で評価されるべきことと思えました。
本稿はこれで終了です。
なお、2020年4月末から5月上旬のGWに、第二次の群馬県古墳調査として、太田市、伊勢崎氏などを視察するよていです。
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