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イスタンブル7・行政・統計

(Istanbul、トルコ)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日
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 次はトルコのイスタンブルの行政・統計です。

◆イスタンブル7・行政・統計

行政


イスタンブールの市街はボスポラス海峡に沿った中心部から遠くに伸びる。(地図の上部が黒海で下部がマルマラ海)
Maximilian Dörrbecker (Chumwa) - 投稿者自身による作品, using this base map, this orientation map and this coat of arms, CC 表示-継承 2.5, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 2004年以来、イスタンブルはトルコでは2つある市域と県域が同一の範囲で広がる都市の1つです。イスタンブルはイスタンブル県の県都と見なされ、イスタンブル大都市自治体(MMI)により統治され39の都市行政区に分けられています。

 現在の都市機構は19世紀のタンジマート期の改革に遡り、それ以前はカーディーと大宰相の後援の下、イマームにより都市を率いていました。フランスの都市をモデルに、宗教的な仕組みは市長とイスタンブル中のミレット制の代表者で構成された議会に置き換わった。ベイオールは市内では最初の自らの首長と議会を有する地区でしたが、議員はミレットの代表者の代わりに地区に長年住む住民であった。

 オスマン帝国憲法以後、法律が制定されこの仕組みは市全体に拡大され20のパリの行政区を模範としていましたが、1908年まで全ては実行されておらずイスタンブルは9つの地区で構成された行政区として宣言されました。

 この仕組みは belediye(自治体)と名称を変えてトルコ共和国建国後も続きましたが、1957年にこの自治体は解散しました。イスタンブルを含めトルコの人口集中地区に隣接した小さな集落は1980年代初期にそれぞれ主要都市に併合され、その結果大都市の自治体となりました。

 イスタンブル大都市自治体の意思決定機関は、地区議会から選ばれた議員による市議会です。市議会は予算管理やインフラの維持、博物館や主要な文化センターの監督など市全体の問題を担当しています。

 市政府は「強力な市長と弱い議会」のアプローチの下で運営されるため、議会の指導者、市長は迅速な意思決定を行う権限を有していますがしばしば透明性は犠牲にされます。市議会は大都市行政委員会により助言されますが、委員会もまた自らの意思決定を行う限られた権限を有しています。全ての委員会の代表者は市長や議会により任命されます。

 一方、地区議会はそれぞれの地区内の廃棄物管理や建設計画に関して主に責任があります。それぞれの地区は独自の予算を有しますが、市長には地区の意思決定を再検討する権利があります。区長を含むすべての地区議会の議員の5分の1はそれぞれの地区の代表として市議会の議員として選ばれます。

 全ての地区議会と市長を含む市議会の議員は5年ごとの選挙により選出されます。 2004年以来、公正発展党のカディール・トプバシュがイスタンブル市長を務めています。


ファティ地区にある1953年に建てられたイスタンブール市庁舎
Darwinek - http://commons.wikimedia.org/wiki/File:%C4%B0stanbul_B%C3%BCy%C3%BCk%C5%9Fehir_Belediyesi_Bakanl%C4%B1%C4%9F%C4%B1.jpg, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 イスタンブル大都市自治体とイスタンブル県は同等の管轄区域を持ちますが、いくつかの権限は県政府に残されています。イスタンブル大都市自治体に似て、イスタンブル県は政府から任命された知事、民主的に選出された意思決定機関である地方議会と任命された行政委員会があります。

 自治体レベルで行政委員会が反映され、県行政委員会には、大臣や部門長が含まれ県議会に助言を行っています。県行政の役割は学校や住宅、政府の建物、道路の建設や維持、芸術、文化、自然環境保全や推進に限定されています。フセイン・アヴニ・ムトゥル Hüseyin Avni Mutlu は2010年5月以来、イスタンブール県の県知事です。

統計

 歴史の大半を通じてイスタンブルは世界の大都市の中に位置付けられてきました。500年までにはコンスタンティノープルはローマを超え40万から50万の人口を擁していました。コンスタンティノープルは歴史的な大都市であるバグダードや長安(現在の西安)を押し退け、13世紀までには世界最大の人口を抱える都市に位置していました。

 世界最大の都市には戻らなかったものの、コンスタンティノープル陥落後も19世紀初めにロンドンが上回るまで、ヨーロッパ最大の都市でした。今日でもモスクワと並びヨーロッパ最大の都市集積を形成しています。

 トルコの統計機関はイスタンブルの人口は2011年12月31日現在13,483,052人と推計しており、トルコ最大の都市を形成しトルコの全人口の18%を占めています。広大な面積のためイスタンブールは世界の市域人口の順位でトップ5に含まれていますが、これは都市圏と同等と考えられ、本来の市街人口は大体15位以下です。


イスタンブルの人口推移
Source:Wikimedia Cmmons

 イスタンブルの人口は年間3.45%増加しており、OECDの78の大都市圏の中でも最も高い位置にあります。第二、第三の位置を占めるOECDの大都市圏もイズミルやアンカラなどトルコの都市で、この高い人口増加率はトルコの全国的な都市化を反映しています。

 イスタンブルは特に20世紀後半に急速に成長し、1950年から2000年の間の半世紀に人口は10倍になりました。人口の急増は市域の拡大から来ており、特に1980年から1985年にかけては人口は2倍になっています。著しい成長がありそれは未だにあり、大部分は住環境の改善や職を求めるトルコ東部からの移住者により勢いが与えられています。

 イスタンブルの多くの住民は7つの北部や東部の県を出自としていますが、イスタンブルのその人口はそれぞれの地方の人口を超えています。とくにイスタンブルの50万人を数える住民はスィヴァス県やカスタモヌ県の人口を超えています。 イスタンブルの人口に占める外国人の割合は僅かで、2007年現在42,228人でした。

 28%の市民だけが元からのイスタンブルの出身です。

 イスタンブルの人口密度は2,523人/km2でトルコの人口密度の102人/km2を遥かに超えています。人口密度が高い傾向にあるのは北西部や西部、ヨーロッパ側に位置する南西部の市中心部です。最も人口密度が高いのはアジア側の地区のユスキュダルです。


イスタンブル8へつづく