シルクロードの今を征く Now on the Silk Road イスタンブル1・概要 (Istanbul、トルコ) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) イスタンブル1 イスタンブル2 イスタンブル3 イスタンブル4 イスタンブル5 イスタンブル6 イスタンブル7 イスタンブル8 イスタンブル9 イスタンブル10 イスタンブル11 イスタンブル12 イスタンブル13 イスタンブル14 イスタンブル15 次はトルコのイスタンブル1概要です。 青山貞一、池田こみちがイスタンブルを視察したのは1996年、国連居住年ハビタットがトルコのイスタンブルで開催された際、モスクワ、アンカラ、カッパドキアを経由し空路イスタンブルに行ったときです。当時は、まだデジカメがなく、一眼レフで撮影したフィルムをjpgファイルに変換するシステムを使い順次デジタル化しています。 ここでは、イスタンブルについて、その概要を紹介しています。 ◆イスタンブル(Istanbul、トルコ) イスタンブルの風景 see above. Compilation: Ahmet Gürsakal - {{Cc-by-2.0}} by Ivan Mlinaric{{PD-self}} by Nnevid{{PD-self}} by Mehmet Karaarslan{{Cc-by-sa-2.5,2.0,1.0}} by KeRR{{Cc-by-sa-3.0}} by Benh LIEU SONG{{Cc-by-sa-3.0}} by Ail Subway, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons イスタンブルの位置 出典:グーグルアース イスタンブルの位置 出典:グーグルアース イスタンブルの位置 出典:グーグルアース 以下はアジアとヨーロッパの境界線にあるボスポラス海峡です。 イスタンブル市街地の地図 出典:テキサス大学図書館 ◆イスタンブル(Istanbul) 出典:Wikipedia イスタンブル概要 イスタンブルCBD(レヴェント)の夜景 Derrick Brutel - Istanbul, CC 表示-継承 4.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons イスタンブルはトルコ最大の都市で、トルコの経済、文化、歴史の中心地です。 日本では一般に「イスタンブル」と呼ばれることが多くなっています。人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでは最大規模の都市圏の一つで、イスタンブル市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれています。 イスタンブルはトルコに16ある大都市自治体の1つで 5,343km2 (2,063 sq mi) の広大なエリアはイスタンブル県と同一の広がりを持ち、イスタンブルは同県の県都です。 同都市はトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んで大陸間に跨った都市です。 市域はボスポラス海峡を挟んで東のアジア(アナトリア半島)側と西のヨーロッパ(トラキア地方)側両方に拡がり、西側の市域は金角湾で南北に分かれる。2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもあります。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1はアジア側に居住しています。 サライブルヌの岬に紀元前660年にビュザンティオンとして創建され、現在では歴史上最も重要な都市の一つとしてイスタンブルは知られています。 330年にコンスタンティノープルとして再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国 (330-395)、ビザンティン (395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国 (1453-1922) と4つの帝国の首都でした。 1453年にオスマン帝国により都市が征服されコンスタンティノープルの陥落が起こる以前のローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要でしたが、征服後はイスラームの中心やオスマンのカリフの中心に変わりました。 トルコ共和国がアンカラを新しい首都に制定したが、宮殿や帝国のモスクは今でもイスタンブルの丘に見ることが出来、イスタンブルの以前の中心的な役割を想起させる遺産となっています。 イスタンブルは歴史上重要なシルクロードに沿った戦略的な場所に位置し、ヨーロッパと中東への鉄道網と黒海と地中海を結ぶ唯一の航路は1923年のトルコ共和国の設立を差し引いても、幅広い人々を育むのに役立っています。 戦間期には新しい首都のために見落とされがちでしたが、その後直ぐにイスタンブルはその傑出した部分の多くを取り戻しています。 アナトリア中から移住者がイスタンブルやその周辺に集まり居住地が広まり、1950年代以来人口は10倍に増加しています。20世紀後半には芸術祭が確立し、その間にインフラが改善され複合的な交通網が整備されています。 欧州文化首都であった2010年にはイスタンブルに約700万人の海外からの観光客が訪れ、世界で10番目に最もポピュラーな観光地でした。イスタンブルの最大の呼び物は今でも残されている歴史の中心で、部分的にユネスコの世界遺産に登録されていますが、文化やエンタテインメントの中心は市内の天然の良港であるベイオール地区の金角湾周辺に見られます。 イスタンブルは世界都市と見なされ、多くのトルコの企業やメディアの拠点があり、トルコの国内総生産の4分の1以上を占めています。 イスタンブル2へつづく |