歴史短訪、新羅の首都慶州 2 Histric short visit to Gyeongju, Hometown of Silla 新羅の古墳群、大陵苑 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年8月30日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
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◆慶州の世界遺産 韓国の南東部、慶尚北道(キョンサンプット)に位置する慶州(キョンジュ)は、約1000年(紀元前57年〜935年)の栄華を極めた新羅(シルラ)王朝の都があった都市です。 慶州周辺は、紀元前1世紀から10世紀に栄えた新羅王朝の都が置かれていました。そして今なお、慶州には新羅時代に作られたと考えられている古墳や仏教関連の遺跡が多数点在しています。 このため、慶州は「屋根の無い博物館」といわれることもあります。
慶州の代表的遺物、石窟庵と仏国寺は1995年に韓国初の世界遺産として登録されました。 そして2000年、慶州周辺の他の歴史的遺物が、新たにユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 登録地域は、以下に示すように、南山地区・月城地区・山城地区・皇龍寺跡地区・大陵苑地区の5つに概ね分かれています。 慶州市には、大別して以下の5地区の世界遺産があります。 ・南山地区 南山石仏群 ・月城地区 ・山城地区 ・皇龍寺跡地区 ・大陵苑地区 ◆大陵苑(テルンウォン) 6月23日午後、慶州市で最初に訪問したのは、大陵苑地区です。ここには2001年の時にも来た覚えがあります。 下は大陵苑の入口(門)です。 大陵苑の入口(門) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 大陵苑の入口(門) 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-6-23 大陵苑は慶州の皇南洞にある古墳群の中でも最も大きい規模の古墳群です。大陵苑には約400,000m2を越える巨大な敷地に味鄒王陵など23基の古墳があります。また大陵苑には、味鄒王陵や天馬塚があります。およそ12万5,400坪の敷地に23基の古墳が保存されています。 下は大陵苑古墳群の全体を示す案内図です。 大陵苑地区の全体ガイド図 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 下はグーグルアースで上空から見た大陵苑地区です。 グーグルアースで上空から見た大陵苑地区 下は門をくぐってすぐのところで撮影した写真です。 門をくぐってすぐで撮影した写真 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 古墳群の中で被葬者がわかっているのは新羅第13代味鄒王陵(在位262年〜284年)の古墳だけです。古墳はどれも大きく、新羅時代の王あるいは王族のもの見られていますが、古墳の中には夫婦で合葬された双子山型の古墳もあります。 大陵苑地区の古墳群 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 大陵苑地区の古墳群を背景に 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 大陵苑 (トリップアドバイザー提供) 大陵苑の古墳群にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 現在、古墳の周囲は青々とした松林で、春は桜やレンギョウ、秋はサルスベリの紅葉が美しくいそうです。下のトリップアドバイザーの写真では桜が咲いています。 大陵苑 (トリップアドバイザー提供) ◆天馬塚(チョンマチョン) 大陵苑にある天馬塚は155号古墳とも呼ばれており、内部には発掘された遺物を直接展示されています。 天馬塚の発掘作業は1973年4月から12月まで進められ、最初は皇南大塚を発掘する予定でしたが、その試掘りとしてこの塚を先に発掘したそうです。その結果、予想外の大きな収穫を得られたため、大騒ぎになったそうです。 発掘調査の結果、この天馬塚は5世紀末から6世紀の初頃に作られた積石木槨墳であり、この古墳からは金冠を始め、各種の装身具、武器、馬具など実に、11,526点の遺物が出土されました。さらに古墳からは白樺の皮に絵かれた天馬図が発掘されたことから天馬塚と呼ばれるようになっています。 天馬塚への入口にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-6-23 大陵苑 (トリップアドバイザー提供) 天馬塚内には、出土した金冠などが展示されていますが、これらは本物(実物)をもとに作られた精密なレプリカであり、金冠や冠帽、腰帯などの本物は国立慶州博物館の古墳室にあり、天満塚古墳の資料館では見ることが出来ませんでした。また天馬塚という名前の由来となった天馬図は破損がひどく、残念ながら展示はされていませんでした。 下は千里馬です(ただしWikipedia)。大陵苑(テヌンウォン)、天馬塚(チョンマチョン)から出土しており、5-6世紀頃のものと推定されています。現在は上記のように、ソウルにある国立中央博物館に所蔵されています。 国立中央博物館に所蔵されている千里馬 出典:Wikipedia 残念ながらこの天馬塚内は、撮影禁止となっていました。ただし、今回訪問した場所で撮影禁止となっていたのはここと石窟院だけです。 以下は天満塚にレプリカがあった発掘された文物です。同じレプリカが国立慶州博物館に展示されている文物です。 以下はPUSAN NAVIの国立慶州博物館の展示物についてのコメントです。 古墳室へ入ってすぐ目に飛び込んできたのはまばゆいばかりの金冠でした。この金冠は路東洞・路西洞古墳公園(ノドンドン・ノソドンコブンコンウォン)の中にある瑞鳳塚(ソボンチョン)から出土したものです。1926年当時、スウェーデンの皇太子が発掘調査に参加し、この金冠は掘り出されました。美しい鳳凰の装飾が見事です。 まばゆいばかりの金冠 出典:国立慶州博物館 出典:国立慶州博物館 なお、今回は時間の関係で行けませんでしたが、月城地区には、東洋最古の天文台、瞻星台(チョムソンデ)があります。 ◆瞻星台(チョムソンデ) 大陵苑 (トリップアドバイザー提供) 往事の瞻星台利用イメージ 出典:新羅歴史科学館 往事の瞻星台利用イメージ 出典:新羅歴史科学館 この瞻星台(チョムソンデ)は善徳(ソンドッ)女王の時代(635年〜647年)に作られたと推測されています、 東洋最古の天文台です。高さは9.17mもあります。基壇部の上には、とっくり型の円筒部、そして頂上部には井の字型の石材がのっています。中央の四角い窓から数えると、上下それぞれ12段ずつ石が積まれています。 これは1年12カ月24節気を表しています。また円筒部には計362個の石が使われていますが、この個数は陰暦で計算した場合の1年間の日数と同数になっているという興味深い特徴を持っています。 ?慶州の代表的な遺跡のひとつ 当時の文献によると観測者は、はしごを使って中央の窓から瞻星台内に入り、さらにはしごで頂上まで上って空の観測を行っていました。天空の動きは農事の時期を決定する大切な要素であることから、瞻星台は農業と深い関係があったとみられています。また、古代国家では国家の吉凶を占う占星術が重要視されており、瞻星台が政治的にも活用されていたのではないかという見方もあります。国宝第31号。 参考:KONEST http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=2205 つづく |