エントランスへはここをクリック   
   
歴史短訪、新羅の首都慶州 22

Histric short visit to Gyeongju, Hometown of Silla

海印寺の概要・歴史

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2015年8月30日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
歴史短訪、新羅の首都慶州 2015.6.23-25
1 日程概要 8 石窟庵 15 仏国寺伽藍@ 22 海印寺の歴史 29 八万大蔵経A
2 新羅の古墳群 9 如来坐像 16 仏国寺伽藍A 23 海印寺の周辺 30 八万大蔵経B
3 皇帝パン 10 修復問題 17 境内風景 24 伽藍の概要 31 八万大蔵経C
4 雁鴨池@ 11 仏国寺概要 18 慶州で青磁 25 大寂光殿 32 釜山へ
5 雁鴨池A 12 仏国寺の門 19 海印寺へ 26 大毘慮殿 33 釜山臨海部@
6 雁鴨池B 13 仏国寺石橋 20 トレッキング 27 梵鐘閣 34 釜山臨海部A
7 雁鴨池C 14 多宝塔と釈迦塔 21 海印寺の門 28 八万大蔵経@

 ここで、海印寺について、その概要を紹介しておきましょう。

 海印寺の公式ホームページ(韓国語)


出典:Wikipedia
 
 海印寺(かいいんじ、ヘインサ)は、慶尚南道陜川郡にある寺院です。

 韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の三宝寺院であり、五大叢林(海印叢林)に数えられています。また曹渓宗の第12教区本寺となっています。

 海印寺には高麗八萬大蔵経の版木が保管されている大蔵経板殿は世界遺産に登録されています。

◆海印寺(ヘインサ)法宝のお寺

 
海印寺は新羅の時代に華厳宗の精神的な基盤を広げて宣揚するという目標にして、いわゆる 華厳宗の10個の寺 のなかで一つで立てられた寺です。 華厳宗の根本になる華厳経は4世紀頃、中央アジアでできた大乗経典の最高として、その本来の名前は大方広仏華厳経であり、東洋文化の精髄と呼ばれています。

 この経典に‘海印(ヘイン)三昧’という一節が出てくるのに、 海印寺(ヘインサ)という名前はまさにこの' 海印(ヘイン)三昧から始まったことといいます。

 海人(ヘイン)三昧はありのままの世界を限りなく深くて広い大きい海に比べて、荒い波すなわち衆生の煩悩と妄想がようやく止まる時、宇宙のさまざまな真の姿がそのまま水の中(海)に映る(印)状態をいったのです。このように事実どおりの世界がまさにおブッダの悟りの姿です,私たちの衆生の本来の姿であるから、これがすなわち海印(ヘイン)三昧の教えです。

 このような精神を基にして、海印寺(ヘインサ)は海凍(ヘドン)の華厳宗の初めての祖師義湘(ユィサン)大師(625〜702)のまごの順応(シュンオン)和尚とその弟子の利貞(リゾン)和尚新羅の第 40代の王である哀莊王3年すなわち802年10月16日に王と王妃の助けで今の大寂光殿(ダイゾクコァジヨンー本堂)の位置に創建しました。

 かくして華厳宗は開花期をむかえた新羅時代を過ぎて、海印寺(ヘインサ)を中心に希朗(フィラン)大師を始めとして、均如(キュンニョ)と義天(,ウイチョン)のように優れた僧らを排出するに至りました。


出典:韓国の主要寺院 http://jap.nungin.net/9000/sub_03_01.asp

◆華厳宗(けごんしゅう)

 大乗仏教の宗派のひとつです。

 中国において、大乗仏典のひとつ『大方広仏華厳経』(『華厳経』)を究極の経典として、その思想を拠り所として独自の教学体系を立てた宗派です。

 開祖は杜順(557年-640年)、第2祖は智儼(602年-668年)、第3祖は法蔵(643年-712年)、第4祖は澄観(738年-839年)、第5祖は宗密(780年-839年)と相承されています。

 この中国の五祖の前に、2世紀頃のインドの馬鳴(アシュバゴーシャ)と龍樹(ナーガルジュナ)を加えて七祖とすることもあります。また朝鮮半島(古代新羅)にも伝わり、義湘(ウィサン)によって広められています。

 日本における華厳宗は、第3祖法蔵門下の審祥によって736年に伝えられました。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において『華厳経』・『梵網経』に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)されました。

 鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然による教学の確立がなされています。法相宗と並ぶ、南都六宗の一つで、「十三宗五十六派」の一つです。

 華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっています。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善財童子の遍歴を描いた「入法界品」などが有名です。東大寺の大仏も本経の教主・毘盧舎那仏であり、日本仏教の黎明期に重用されましたが、大乗仏教の中でも独特の教学を持つため宗勢は徐々に衰えていった。

出典:Wikipedia

 
下は海印寺の全景です。奥深い山の中腹に境内があります。


海印寺の全景  海印寺パンフレットより

◆海印寺の概要

 海印寺 は新羅時代に華厳宗の精神的な土台を固め、宣揚を図るという旗幟の下で、いわゆる華厳十刹の一つとして建てられた伽藍です。

 華厳宗の根本の経典である華厳経は4世紀ごろ中央アジアで整えた大乗経典の最高峰で、元の名は大方広仏華厳経であり、東洋文化の精髄であると言われます。

 この経典に‘海印三昧’という句が出ますが海印寺の名はその '海印三昧'から引いて名づけました。海印三昧はありのままの世界を限りなく広い大海に喩え、荒波つまり衆生の悩みが消える時宇宙の様々な本当の姿がそのまま水に映す境地のことを言います。

  このように如実な世界が仏の悟りの様子であり、我々衆生の元々の様子ですから、これが海印三昧の教えです。こうした精神を土台に海印寺は海東華厳宗の義湘大師(625~702)の法孫である順応和尚と彼の弟子である理貞和尚が新羅第40代の哀荘王3年目(西紀802年)10月16日に王と王妃の支援を受けて創建しました。


出典:Life of  Korea
 http://www.lifeinkorea.com/cgi-bin/travel2j.cfm?TravelID=67

◆海印寺の歴史

 新羅王第40代哀荘王の時代の802年(哀荘王3年、統一新羅時代)に海東華厳宗の開祖義湘の法孫順応と彼の弟子理貞が新羅王室の寄進を受けて創建しされました。

 918年に高麗が建国された際、当時海印寺の住職だった稀朗の建国時の功績が認められ、海印寺は高麗の国刹になりました。

 930年には太祖の支援で重建が行われました。その後幾度かの重建が行われたようですが、詳細はわかっていません。

 李氏朝鮮(1392年〜1897年)の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に海印寺の名前はありませんので、一旦廃寺になりました。

 しかし世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36寺院の中に海印寺の名前があり、寺は復活しました(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。

 なお、李氏朝鮮時代の仏教弾圧については、以下が詳しいです。
 <参考>朝鮮の仏教

 1488年(成宗19年)に王室の寄進を受け、1490年(成宗21年)に燈谷學祖和尚が重修しました。

 世界遺産に登録された大蔵経板殿は、現在海印寺最古の建造物ですが、この時重建されたものです。


 
韓国(新羅)の歴史  出典:Wikipedia

歴史のつづき 4度に及ぶ大火


撮影:池田こみち Nikocn Coolpix S6400 2015-6-24

 1695年(粛宗21年)に火災にあいますが、雷音敬演和尚が翌年に重建しました。

 1743年(英祖19年)に凌雲一宗大師が重建されます。

 1763年(英祖39年)に再度、火災にあいますが、3年かけて雪坡常大師が再建します。

 さらに、1780年(正祖4年)に火災にあいますが。しかし星坡念初大師が5年かけて再建します。

 1817年(純祖17年)に火災にあいますが、影月慧堅大師と晦隱昇惠大師が3年かけて重建を行っています。

 このように、海印寺は繰り返し火災に見舞われており、本堂の大寂光殿をはじめ現存の建築はこのとき重建されたものがほとんどです。

 日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定されました(1924年以降は朝鮮三十一本山)。

<参考>
 植民地朝鮮における総督府の宗教政策―抑圧と懐柔による統治―

出典:Wikipedia 


◆海印寺の本尊、毘盧遮那仏

 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、大乗仏教における仏のひとつです。

 毘盧遮那とはサンスクリット語のVairocana「ヴァイローチャナ」の音訳で「光明遍照」(こうみょうへんじょう)を意味します。「毘盧舎那仏」とも表記されます。略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表されます。

 史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)。宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。毘盧遮那仏については、『華厳経』に詳しく説かれています。


東大寺の毘盧舎那仏   出典:Wikipedia 

 下の写真は海印寺の毘盧遮那仏、韓国最古の木仏です。


海印寺の毘盧遮那仏、韓国最古の木仏
出典:中央日報

海印寺の行事

春−護国八万大蔵経頂戴仏事(陽暦4月)
  海印寺は外勢の侵略を非暴力平和の崇高な仏心で勝ち抜いた高麗大蔵経の精神を受け継ぎ、法輪常轉、国家安泰民心安楽、民族大融和を祈願する海印寺の最も大きな行事です。

秋−毘盧遮那仏無生戒(菩薩戒)受戒大法会(陽暦10月)
  毘盧遮那仏が説いて文殊菩薩が伝えてきた法身界を菩薩界にさらに進展させた毘盧遮那仏無生界。唯一海印寺で説く、国内唯一の菩薩界です。

夏・冬−海印寺修練会(陽暦7〜8月)
  清涼な早朝礼仏、108拝、寺での供養礼法など、全身で修行生活を体験することができます。心構えが変わり、考えが変化し、ものごとに対する態度が変わります。

年中−テンプルステイ
  1泊2日の日程で、平日と週末に行い、一般陣が寺刹で出家体験をすることができる大切な機会です。(布教局に連絡して申し込む)



つづく