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歴史短訪、新羅の首都慶州 8

Histric short visit to Gyeongju, Hometown of Silla


石窟庵

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2015年8月30日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
歴史短訪、新羅の首都慶州 2015.6.23-25
1 日程概要 8 石窟庵 15 仏国寺伽藍@ 22 海印寺の歴史 29 八万大蔵経A
2 新羅の古墳群 9 如来坐像 16 仏国寺伽藍A 23 海印寺の周辺 30 八万大蔵経B
3 皇帝パン 10 修復問題 17 境内風景 24 伽藍の概要 31 八万大蔵経C
4 雁鴨池@ 11 仏国寺概要 18 慶州で青磁 25 大寂光殿 32 釜山へ
5 雁鴨池A 12 仏国寺の門 19 海印寺へ 26 大毘慮殿 33 釜山臨海部@
6 雁鴨池B 13 仏国寺石橋 20 トレッキング 27 梵鐘閣 34 釜山臨海部A
7 雁鴨池C 14 多宝塔と釈迦塔 21 海印寺の門 28 八万大蔵経@

◆2日目午前

 翌、6月23日はホテルのバイキングで朝食後、慶州の石窟庵(ソックラム)を訪問しました。石窟庵も仏国寺とともに世界遺産に登録されています。

 以下はホテルから石窟庵までのルートです。ブルーで示した道路は車で行き、石窟庵の入口拝観料を支払い車を駐車し、その後、赤い線に沿ってトレッキングで山を登り、最後はグリーンの線に沿って石段を登り石窟庵に到着します。


出展:グーグルマップ


石窟庵の概要

 慶州(キョンジュ)は、紀元前1世紀頃に始まり10世紀に滅亡した王朝、新羅の都が置かれていました。石窟庵は、8世紀ごろの景徳王の時代、宰相の金大城により建立されました。 石窟庵は、東向きに作られており、日の出、月の出の名所でもあります。

 制作者については謎が多く、同時代の仏像彫刻に比べて遥かに精緻であり、新羅美術の最高峰と呼ばれています。1995年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されました。

出典:Wikipedia

 下は石窟庵の鐘楼です。


石窟庵の鐘楼   撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ソックラム 石窟庵 (トリップアドバイザー提供)

 鐘楼から下を見ると下の写真のようにかなり山の上にあることがわかります。



ソックラム 石窟庵 (トリップアドバイザー提供)

 下は石窟庵の入口です。この手前で入場料を支払い山をトレッキングして行きます。


石窟庵の入口
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24

 以下は門を入ってから石窟庵近くまで歩くトレッキング道路です。


石窟庵の入口から石仏までのトレッキングルート
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24

 以下は、トレッキングルートの終点です。トレッキング道路は、写真のようによく整備されており、また傾斜も揺るかです。途中、道の両脇の木々の間にたくさんのリスを見ることができ、自然も満喫できます。


石窟庵に通ずる参道にいたリス
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015年6月24日

 写真のように私達より先に、韓国の人々が来ていました。



トレッキングルートの終点
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24

 石窟庵は、以下の解説にあるように大韓民国慶尚北道慶州市にある仏教遺跡を意味します。1995年、石窟庵から約4キロメートルほど離れた仏国寺(次の訪問先)とともに、「石窟庵と仏国寺」として世界遺産(文化遺産)に登録されています。

◆石窟庵(ソックラム)

 石窟庵(ソックラム)は、大韓民国慶尚北道慶州市にある仏教遺跡を意味します。

 石窟庵は吐含山の麓にあります。元々「石仏寺」と呼ばれていましたが、「石窟」「趙家寺」などを経て、「石窟庵」と呼ばれるようになったのは日本時代以降のことです。

 この石窟庵は1962年12月20日、大韓民国国宝第24号に指定されました。また、1995年に石窟庵から約4キロメートルほど離れた仏国寺とともに、「石窟庵と仏国寺」として世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 その歴史は、新羅の景徳王と恵恭王の時代の宰相だった金大城(700年 - 774年)が自分の父母のために「石仏社」を建立したと高麗時代の『三国遺事』に記されています。

 石仏社が仏国寺の位置に近いことから石窟庵のことであると考えられています。751年(景徳王10年)に建立が開始され、774年(恵恭王10年)に完成しました。その後、儒教を中心とした朝鮮時代が500年以上続き、仏教は弾圧されたため永らく放置されていました。

 1909年、郵便配達員が配達のため吐含山の峠を越えようとしたところ、突然豪雨に見舞われ山中の洞窟に逃げ込みました。そのとき洞窟の中に偶然仏像を発見したのです。

 当時の石窟庵は崩壊寸前で、倒壊の恐れがありました。天井が抜け落ち、仏像に直接雨が当たり、周囲の仏像の配置もすでに不明で、全体の半分以上が土に埋もれていたのです。

出典:Wikipedia



石窟庵の解説板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24
 
 以下は解説番ですが、ハングルと日本語による解説があります。


石窟庵の解説板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24



石窟庵の詳細解説板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24


石窟庵の詳細解説板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-6-24


つづく