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●2月17日(水) ヴィリニュス、国立ユダヤ博物館
KGB博物館を後に、KGBビルの裏側にある次に国立ユダヤ博物館(Lietuvos Vaistybinis Muziejes)に雪の中歩いてゆく。これらの地区はヴィリニュス旧市街の西はずれに当たる。
地図上では5分も歩けばとうちゃくするはずだが、これがなかなか見つからない。やっとのことで見つけた。パメンパルニォ通りから少し入ったところだ。下の矢印が目安である。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
国立ユダヤ博物館という名称とは異なりグリーンの色をした下の写真にある木造2階建ての施設だった。地元では通称、グリーンハウスと呼んでいた。
国立ユダヤ博物館
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
国立ユダヤ博物館の玄関前にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
ベルを押すと女性が出てきて、今日は入場料は無料の日であると告げられる。今日はテレビ局の取材があり、展示場の一角に大型のビデオカメラが据え付けられていた。おそらくその前でその女性(たぶん博物館長)がコメントをするのだろう。
下は記帳する来館者名簿に池田さん。
国立ユダヤ博物館内にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
この博物館では、事前に収集していた資料、写真も多くあったが、昨年のポーランドで入手できなかった多くの貴重な資料、地図を入手することができた。
ユダヤ博物館は、その名の通り、ナチス・ドイツによって強制連行され、強制収容所に送られ、さらに殺害されたユダヤ系リトアニアへの迫害の歴史を資料展示している。
下の図は、第二次世界大戦前にリトアニア各地に居住していたユダヤ人の場所を示している。地図からはほぼリトアニア全土にユダヤ人が居住していたことが分かる。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
1941年時点でリトアニア全土に22万人とユダヤ人が居住していたようだ。それらユダヤ人の約90%(20万人)が第二次世界大戦中に殺害されている!
この数字は昨年、ポーランドに現地調査を行ったときに調べた数字よりかなり多い。
壁に掛かっていた下の地図には、リトアニアにおけるユダヤ人の犠牲者数は20万人以上と書かれている。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
下の地図は、ナチス・ドイツ軍がポーランド、バルト3国、ウクライナ、ベラルーシュ(旧白ロシア)それにソ連に攻め上って行った経路図である。
図を見ると、ドイツ軍はケーニッヒブルグ(旧プロイセンの首都で現在はロシアのカリニングラード)からリトアニアに入った後北上しラトビア東部からエストニアに北上していることが分かる。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
下はエストニアのリバル、ナルバやラトビアのリーガからナチス・ドイツ帝国のポーランド領になっていたStutthofに強制的に連行された経路図である。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
当然のことだが、この博物館にも日本のリトアニア領事だった杉原千畝氏を記念した各種資料、情報が展示されていた。杉原氏は現地ではセンポと愛称されている。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
なお、国立ユダヤ博物館の前庭には、杉原千畝氏に捧げられたモニュメント「月光」が置かれている!!
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition