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●2月17日(水) カウナス、第九博物館
カウナス
出典:グーグルマップ
まず第九要塞(Devintojo Forto Musiejus)の歴史と現状について説明しよう。
第九要塞は、19世紀にリトアニアのカウナスにおいて帝政ロシア(ロマノフ朝)により建造された要塞のひとつである。要塞は当初12カ所あった。
第二次世界大戦中、リトアニアを占領したナチス・ドイツは、リトアニアのビルニュスやカウナスなどリトアニア各地から強制連行したユダヤ人らをそれらの要塞に約5万人を強制的に収容し、その多くを虐殺したとされている。犠牲者はナチス・ドイツだけでなくソ連による犠牲者も含まれている。
12カ所あった要塞は、現在第九要塞を残し、大部分があとかたなく破壊されている。残った第九要塞が博物館となっており、犠牲となったひとびとの遺品や写真を資料として展示している。また残された第九要塞そのものもガイドをつけ視察できるようになっている。
厳寒のなか、やっとたどり着いた第九要塞博物館の展示館の受付にも人影がなかった(笑い)。少し待つと、係とおぼしき女性が出てきていろいろ聞く。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
もともとこの地には12の要塞があったが、現在は第九要塞だけが残っていて博物館となっている。英語のガイド付きで要塞内部を視察できる。
この第九要塞博物館は、単なる展示コーナーだけでなく、展示場所から数100m離れた場所に、残された第九要塞がある。
その要塞のなかを英語のガイド付きで回るコースがある。そのことをあらかじめ調べて知っていたので、ガイド付きの要塞内ツアーの切符を含めてお金を支払う。
何しろ英語が通じにくいので、あらかじめ調べておき、勘を働かせないと、前に進まない。そもそもこの時期、博物館を訪問するひとはほとんどいない。
展示館の入場料は5リタス、日本円で約170円。ガイド付きの要塞及び地下壕の視察は20リタス、日本円で約720円である。ガイド付き視察は5人まで同料金である。
やっと話がつき、私たちが展示を見ると、進む先々で照明がつくのだ。
省エネと言えば省エネなんだろうが、その実、お客がおらず全面的に照明を消していたのだろう。
下は犠牲となったひとびとの遺品や写真、関連資料の展示コーナーである。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
リトアニア国内のユダヤ人は第九要塞に強制連行され、強制収容され、殺害されたひととともに、下の地図にあるように、ナチス・ドイツ帝国のStuffhofやアウシュビッツそれにドイツのダッチャウなどにある強制収容所に送られていた。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
展示されている写真の中には、以下のようなおぞましいものも沢山ある。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 17 Feb. 2010
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition