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●2月16日(火) リトアニアとヴィリニュスの概要
ここで首都ヴィリニュスの歴史地区を紹介する前に、リトアニアと首都ヴィリニュスの概要を紹介したい。
■リトアニアとその首都ヴィリニュスの地理的位置
バルト3国、すなわちリトアニア、ラトビア、エストニアは、東欧EU諸国、ロシア、ベラルーシュに接し、海を隔てて北欧諸国(フィンランド、スウェーデン)に接している。。バルト3国の南端にあるのがリトアニアである。
ヴィリニュスは、そのリトアニアの首都であり、バルト3国では唯一、バルト海に面していない。ベラルーシュに近い内陸にある。
出典:リトアニア:「日本のシンドラー」と「レクター博士」を結ぶ国、日経ビジネス
■リトアニア共和国(Lithuania)とは 訪問地:ヴィリニュス(Vilnius)、カウナス(Kaunasu)、シャウレイ(Ciauliai) 中世にリトアニア大公国として栄える。非キリスト教国家だったため、東方十字軍であるドイツ騎士団との抗争が繰り返された。しかしリトアニアはコサックの地であるウクライナ(ポドリア)の領有に成功する。 1386年、ドイツ騎士団の侵略に耐えかねたリトアニアはキリスト教を受け入れ、ポーランド王国と同盟を組む。これがいわゆるポーランド・リトアニア連合である。 リトアニア人は1430年まで自立していたが、以降ポーランドとの同君連合となり、リトアニアのすべての貴族階級はポーランド文化に同化した。そして1569年のルブリン合同によって、ポーランド・リトアニア共和国という政治的統一体が誕生すると、リトアニアはその構成国の一つとなった。 以降のリトアニアはポーランドと運命を共にする。1795年、第3次ポーランド分割によってポーランド・リトアニア連合が消滅した際、現在のリトアニアの大半の地域はロシア帝国に編入された。 出典:Wikipedia |
■政治
リトアニアは欧州連合加盟国であり、NATOにも加盟している。一方で、旧ソ連の連邦構成共和国でありながらも、CIS(ロシア連邦共和国)には加盟していない。
リトアニアは大統領を国家元首とする共和制国家であり、大統領は5年任期で直接選挙によって選ばれる。また外交や防衛方針の策定にも加わり、それらを指揮する職務も担う。また、大統領は、議会の承認を得て、首相や他の閣僚を任命する。他にも官僚や憲法裁判所の裁判官も任命する。
リトアニアの議会は「セイマス」(Seimas)と呼ばれる一院制であり、141議席を有し、4年任期で選挙により選ばれる。このうち71議席は小選挙区直接選挙により、70議席は比例代表制により選出される。議会に議員を送り込むには、政党は少なくとも全投票の5%を、連立政党は7%を獲得しなければならない。
■民族構成
以下は、リトアニアの民族構成である。リトアニア人が83.5%で圧倒的に多いが、接する隣国、すなわちポーランド人6.7%、ロシア人が6.3%、ベラルーシ人1.2%、ウクライナ人0.65%となっている。
民族構成(リトアニア) | |||
---|---|---|---|
リトアニア人 | 83.45% | ||
ポーランド人 | 6.74% | ||
ロシア人 | 6.31% | ||
ベラルーシ人 | 1.23% | ||
ウクライナ人 | 0.65% | ||
その他 | 1.62% |
■首都ヴィリニュス
■ヴィリニュス(リトアニア語: Vilnius)とは リトアニア共和国の首都で、同国最大の都市。北緯54度41分、東経25度17分。人口は 555,613 人(2008年現在)。かつてポーランド領だったこともある。 バルト三国で唯一海に面していない首都。バルト海に面したリトアニア主要港のクライペダからは 312 km も離れている。 ヴィリニュスはネリス川・ヴィルナ川沿いに位置し、リトアニアの南東と地理的に偏ったところにある。これは過去数世紀の間に国境の形が変わっていったことと関係している。 かつてリトアニア大公国の時代にヴィリニュスは国土の中央にあった。 1994年に旧市街は世界文化遺産に登録された。 2009年の欧州文化首都に選ばれている。 リトアニア人の精神文化のメッカ、ヴィリニュス大聖堂 ヴィィニュス旧市街からケディミナス城を遠望 ヴィィニュス新市街 出典:Wikipedia |
ヴィリニュスは昔から森に囲まれた古都であった...出典
■リトアニア・ヴィリニュスの歴史
■ヴィリニュスの歴史 リトアニア大公国の王ミンダウカスの居城の一つとして、この地に城が作られたのは13世紀、ゲディミナス朝の中興の祖・ゲディミナスによって公国の領土は、ベラルーシ、ウクライナ、そしてドニエストル川全域、さらにはポーランドやロシアの一部にまで拡大した。 しかし、ヴィルナ川とネリス川という二つの航行可能な河川が流れ、森林と湿地に守られたヴィリニュスは公国の統治・防衛に好都合で、首都として機能するようになる。 ゲディミナスの子アルギルダスの死後、大公の座をめぐって紛争が起こるとヴィリニュスは戦禍に見舞われる。勝者となったヨガイラは、ポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、ポーランド・リトアニア合同が誕生した。 ルブリン合同。ポーランド=リトアニア同君連合王国の誕生 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ポーランド・リトアニア連合王国の版図(最大時) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ヨガイラによってヴィリニュスはマクデブルク法の自治を獲得する。ヴィリニュスは順調な発展を続け、16世紀に入ると城壁も整備され、ジグムント2世の宮廷もここに移された。 ヴィリニュスは公国領の各地から集った多様な民族で殷賑を極めた国際都市へと発展した。1579年にはヴィリニュス大学が創立される。 17世紀を迎えると、ポーランド・リトアニア共和国は、衰退が始まる。 大洪水時代である。ロシア・ポーランド戦争では、ヴィリニュスはロシア帝国およびザクセン公国軍に占領され放火・略奪・大虐殺の甚大な被害を受ける。 1710年には、ペストの大流行で1700人を超える市民を失い、さらに度重なる大火で、市は18世紀を通して衰退を極めた。 出典:Wikipedia |
■列強3国によるポーランド・リトアニア分割以降 さらに、ポーランド・リトアニア共和国は、プロイセン王国、ロシア帝国、オーストリア大公国の三列強により3度にわたって分割される。 特に、1795年の第3次分割で、ヴィリニュスはロシア帝国に編入され、ヴィリニュスにはヴィルナ・グベールニヤの庁舎が置かれた。ロシア帝政下で、ヴィリニュスの城壁は破壊された。 1812年ロシア戦役では、モスクワ攻略に向かうナポレオン・ボナパルトによって、ヴィリニュスは再び破壊されたが、しかし、ナポレオンの大陸軍は、当初、市民には歓迎された。 1831年、第1回反ロシア蜂起(11月蜂起)が起こるとヴィリニュス大学は閉鎖され、ヴィリニュスは圧政下に置かれた。 1863年に始まる第2回反ロシア蜂起(1月蜂起)は、激しい市街戦となり、鎮圧したロシアは、リトアニア語とポーランド語を禁じるロシア化政策を強行、リトアニア人がヴィリニュスをそしてリトアニアを離れることになった。 第一次世界大戦中、ヴィリニュスはドイツ帝国の占領下に置かれた。 ドイツ占領下で、リトアニアは独立を宣言。ドイツ軍撤退後、ヴィリニュスはポーランド民兵部隊の支配下に置かれた。ポーランド・ソビエト戦争が起こると、ヴィリニュスは、赤軍とポーランド軍の度々の戦場となる。 リトアニアはソ連とポーランドを相手に戦いながら、1920年にリトアニア共和国を宣言、しかしその首都としてヴィリニュスを認めたくないポーランドはスヴァルキ協定を無視してヴィリニュスに軍事侵攻、ヴィリニュスはポーランド領に編入される。 リトアニア共和国は臨時に首都をカウナスに移転する(その後22年間、カウナスが「臨時首都」とされた)。ヴィリニュスではポーランド語やイディッシュ語が話されるようになった。 出典:Wikipedia |
■第二次世界大戦とナチスドイツ、ソ連による占拠 第二次世界大戦が勃発すると、1939年、ヴィリニュスは、ソヴィエト連邦(ソ連)とリトアニアによってポーランド支配から奪還される。 ソ連軍はすぐにヴィリニュスから撤退、リトアニアが自治を回復したかに見えた。しかし、翌年にはリトアニアをソ連に併合、内務人民委員部(NKVD)によって市民4万人以上が逮捕・殺害され、極東シベリアのグラグに連行された。さらに市内の工場にある機械は全て外部に持ち出された。 ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始するやヴィリニュスはナチスに占領され、大きなユダヤ人社会のあったヴィリニュスには二つのゲットーが作られユダヤ人が隔離された。 最終的に多くのユダヤ人の命が奪われた(バルト三国におけるホロコースト)。 1944年には再び、ヴィリニュスはソ連の支配するところとなり、多くのアールミヤ・クラヨーヴァ(Armia Krajowa)が処刑された。また今度はインテリ階級が逮捕・強制連行され、シベリア送りとなった。 1949年、なおもソ連から独立闘争を続けるリトアニアは、人民の敵とソビエト連邦共産党から認定され、一般市民まで数十万人がシベリア・中央アジアに強制連行された。 1990年、ヴィリニュスの共和国最高会議議長に就任した非共産党員ランズベルギスは、ソヴィエト連邦を構成する共和国で真っ先に独立を宣言、リトアニア共和国が復活した。 ゴルバチョフ政権は、テレビ塔や放送局を急襲、14人を殺害、独立阻止を企てた(血の日曜日事件)。リトアニア共和国憲法は第17条で、リトアニアの首都はヴィリニュス市であると規定している。 出典:Wikipedia |
■信仰心と宗派
バルト3国を理解する上で、宗教の知識は不可欠である。以下は、EUによるリトアニア国民の信仰心についての調査である。
ポーランドほどではないにしても、85%の国民が「神の存在を信じる」及び「ある種の霊や生命力の存在を信じる」と考えている。また、国民の約80%がローマ・カトリック教会の宗派に属していることが分かる。
このように、リトアニアはEU25カ国の平均より6ポイントも高いなど、非常に信仰心の高い、しかもローマ・カトリックやその教会への信仰率が高いことが分かる。
EUによる信仰に関する調査
出典:欧州連合 (EU) が行った調査
宗教・宗派 | 人口 | % |
---|---|---|
ローマ・カトリック教会 | 2,752,447 | 79.00 |
正教会 | 141,821 | 4.07 |
正教古儀式派 | 27,073 | 0.78 |
ルーテル教会 | 19,637 | 0.56 |
改革派教会 | 7,082 | 0.20 |
エホバの証人 | 3,512 | 0.10 |
イスラム教スンナ派 | 2,860 | 0.08 |
ゴスペル教会 | 2,207 | 0.06 |
ペンテコステ教会 | 1,307 | 0.04 |
ユダヤ教 | 1,272 | 0.04 |
バルト人信仰(多神教信仰) | 1,270 | 0.04 |
バプテスト教会ほか | 1,249 | 0.04 |
その他 | 4,701 | 0.13 |
なし(無宗教) | 331,087 | 9.50 |
無回答 | 186,447 | 5.35 |
合計 | 3,483,972 | 100.00 |
バルト3国の都市とその規模を以下に示す。ただし、●は今回訪問した都市。
○総人口が多い都市。
- リーガ - 725,578 人●
- ヴィリニュス - 540,318 人●
- タリン - 396,193 人●
- カウナス - 361,274 人●
- クライペダ - 188,954 人
- シャウレイ - 125,883 人●
- パネベジス - 116,749 人
- ダウガフピルス - 110,265 人
- タルトゥ - 101,740 人●
- リエパーヤ - 85,448 人
○バルト三国の民族(エストニア人、ラトビア人、リトアニア人)の人口が多い都市。
- カウナス - 335,624 人●
- リーガ - 312,858 人●
- ヴィリニュス - 312,303 人●
- タリン - 216,996 人●
- クライペダ - 135,557 人
- シャウレイ - 120,263 人●
- パネベジス - 113,585 人
- タルトゥ - 81,550 人●
- アリートゥス - 66,390 人
- マリヤーンポレ - 44,555 人
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition