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●2月16日(火) 終日:ヴィリニュス旧市街・歴史地区
旧市街の東端のマイロニオ通りに、ヴィリニュスさらに東欧さらに欧州の教会を代表あるいは象徴するような教会、すなわち聖アンナ教会(Sv. Onos Baznycia)、聖ミカエル教会(Sv. Mykoro Baznycia)、ベルナンディン教会(Bernardingu Baznycia)、ミショナリー教会(Misijonieriy Baznycia)などがある。
また以下の地図には含まれないが、地図のさらに1km東には、聖ペテロ・パウロ教会(これは後述)もある。さらに丘の上には後述する「3つの十字架の丘」もある。
多くの世界的教会があるヴィリニュス旧市街東部地域
出典:グーグルアース
■聖アンナ教会(Sv. Onos Baznycia)
聖アンナ教会は16世紀の後半に建立されたゴシック様式の教会である。この教会の建設には何と33種類のレンガが使われているという。このようなレンガづくりの教会建築様式は当時の欧州には例がない。1501年に現在のゴシック様式に改築されている。
右手のベルナンディン教会(Bernardingu Baznycia)も聖アンナ教会とほぼおなじ時期に建築されている。
聖アンナ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖アンナ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
1812年、ロシアに攻め上るフランスのナポレオンがヴィリニュスに入城した際に、「我が手に収めてフランスに持ち帰りたい」と語ったのは有名な話である。
Source:Wikipedeia(English versin)
以下は聖アンナ教会の歴史と建築様式についての説明である。
History
■歴史
The first church at this site, thought to be wooden, was built for Anna, the first wife of Vytautas the Great. Originally intended for the use of Catholic Germans and other visiting Catholics, it was destroyed by a fire in 1419. The present brick church was constructed on the initiative of Grand Duke of Lithuania Alexander in 1495-1500; the exterior of the church has remained almost unchanged since then.
この地における最初の教会(木造であったとされている)は、ヴィタウタス大公の最初の妻であるアンナのために建築された。そもそもこの教会はカトリックのドイツ人や他の国から訪れたカトリック教徒のためのものであったが、1419年に火事のため焼失し、現在の煉瓦造りの教会はリトアニア・アレクサンダー大公の主導の下で1495〜1500年に建築された。教会の外観はほとんど当時のまま残されている。
The reconstruction of the church, funded by Miko?aj "the Black" Radziwi?? and Jerzy Radziwi??, was carried out in 1582 after a severe fire damage. Abraomas Kulvietis preached in the church between 1538 and 1541. In 1747, the church underwent a repair under supervision of Johann Christoph Glaubitz. In 1762, side arches of the main portal were hidden in order to strengthen the support for the facade.
教会は火事による大きな損傷を被った後の1582年に、ミコロ・ラジヴィウ・チャルヌィとイェジー・ラジヴィウの出資によって再建された。アブラオマス・クルヴィエチスは1538年から1541年にかけてこの教会で教えを説いた。1747年にはヨハネ・クリストフ・Glaubitzの指揮の下、修復された。1762年には正門の脇のアーチが建物前面の強度を増すために塞がれた。
According to a well-known legend, Emperor Napoleon, after seeing the church during the Franco-Russian War in 1812, expressed a wish to carry the church home with him to Paris 'in the palm of his hand'. The church was renovated in 1902?1909 when the side arches were uncovered and the walls were strengthened with iron and again in 1960?1970 when the towers in bad shape were restored. On August 23, 1987 the Lithuanian Freedom League held a rally in a square near the church and the monument of Adam Mickiewicz to protest the ongoing Soviet occupation, which was broken up by the militia.[3] Most recent reconstruction followed in 2009: the roofing was replaced, facade elements were reinforced and long-missing side spires were rebuilt.
ナポレオン1世は、1812年ロシア戦役の際に、この教会を見て「手のひらに載せて」パリに持って帰りたいと言った、という有名な伝説がある。この教会は1902〜1909に改築された際には脇のアーチが再び元に戻され、壁面は鉄によって補強された、さらに1960〜1970の改築では形が悪かった塔が修復された。1987年8月23日にはリトアニア自由同盟がこの教会とアダム・ミツキェヴィチ像の近くの広場で集会を開き、まさに行われつつあったソビエトによる占領に抗議し、民兵によって阻止された。もっとも最近行われた修復は2009年のものであり、屋根を葺き替え、外壁が補強され、長い間失われたままであった脇にある尖塔が再建された。
Architecture
■建築様式
The design of the church building is attributed to either Michael Enkinger, the architect of a church of the same name in Warsaw, or to Benedikt Rejt. However, neither of the attributions is attested by written sources. St. Anne's Church is part of an ensemble, comprising the much larger Gothic Church of St. Francis and Bernadine, as well as a monastery.
教会の建物の設計はワルシャワにある同名の教会の建築家である Michael EnkingerもしくはBenedikt Rejtによるものと考えられているが、いずれも証明する文献は存在しない。聖アンナ教会は修道院と同じく、はるかに大きなゴシック様式である聖 Francis and Bernadine 教会を構成する建築物群の一部である。
A novel approach to bricks as a construction material was employed in the church's construction. The main facade, designed in the Flamboyant Gothic style, is its most striking feature. Traditional Gothic elements and shapes were used in unique ways; Gothic arches are framed by rectangular elements dominating a symmetrical and proportionate facade, creating an impression of dynamism. According to Lithuanian architect and art historian Vladas Dr?ma, patterns from the Pillars of Gediminas are echoed in the church's facade.
建築材料としては目新しかった煉瓦が教会の建設に採用された。フラムボイヤント・ゴシック様式にデザインされた正門ファサードは最も目を見張る造形である。伝統的なゴシック様式の要素と形態が独創的な方法で用いられた。ゴシックアーチは長方形の要素で構成され、左右対称でバランスの取れた力強さを醸し出している正門に威容を加えている。リトアニアの建築家であり歴史学者でもあるVladas Dremaによると、教会の正門はゲジミナスの柱(Pillars of Gediminas)を模倣しているという。
The church has one nave and two towers. It was built using 33 different kinds of clay bricks and painted in red. The interior is decorated in the Baroque style, as is its altar. The imitative neo-Gothic bell tower, constructed in the 1870s, stands nearby
教会には身廊(中央の一般会衆席の部分)が1つと塔が2つある。33の異なった種類の煉瓦を用いて作られ赤く塗られている。内装、祭壇ははバロック様式で装飾されている。1870年代に建築された新ゴシック様式を模倣した鐘楼が近くに建っている。
聖アンナ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖アンナ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖アンナ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖アンナ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
■聖ミカエル教会(Sv. Myokolo Baznycia)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
■ミショナリー教会(Misijonieriy Baznycia)
聖アンナ教会や聖ミカエル教会が面しているマイロニオ通りを南に向かって500mほど丘を登ってゆく途中、円形城塞の近くにミショナリー教会がある。ミショナリー教会は1685年につくりはじめ1695年に竣工したバロック様式の教会である。
詳細は以下にあるが、リトアニア語である。
Misijonieriy Baznycia
ミショナリー教会遠景
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
ミショナリー教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition