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   シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

サマルカンド3日目

郷土史博物館 7
ユダヤ人の生活
  Viloyai O'lkashunosilk Muzeyi

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E-wave Tokyo
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◆アフラシャブの丘

 アフラシャブの丘は、サマルカンド歴史博物館の裏手にあります

 アフラシャブの丘(アフラシアブの丘)と呼ばれる広大な丘陵が、サマルカンド歴史博物館の裏手に広がっています。チンギス・ハーン率いるモンゴル軍に破壊されるまで、何世紀もの間サマルカンドの町が存在した場所です。


アフラシャブの丘は、サマルカンド歴史博物館の裏手にあります
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 アフラシャブの丘はかつてサマルカンドの街が存在しました。当時の繁栄を思わせるものは何一つ残っていなくて、見渡す限りの荒野が続いています。

 一面に土や岩が露出し、ラクダ草という短い草と数種類の小さな花が咲いている程度です。今の丘の様子からは、とても当時の繁栄は想像できませんが、かつてのサマルカンドの町は4つの大きな門を持つ城壁で囲まれ、シルクロードの重要都市として栄えていたそうです。

 特に水道の設備が見事に整えられ、大きな鉛管によって町中に水が引かれていたそうです。しかしチンギス・ハーンがこの給水システムを破壊してしまったので、住民たちは町を捨てる事を余儀なくされたそうです。丘からは現在のサマルカンドの町を見渡すこともでき、栄枯盛衰を感じさせられます。


出典:http://illumination.web.fc2.com/samarqand/samarqand_9.htm

 アフラシャブの丘では発掘作業が続いています。アフラシャブの丘からサマルカンド市街を見た様子です。現在は国から保護されているため新しい建物を造ることが禁止されており、今でも発掘調査は続けられています。まだまだ荒地の下には多くの遺跡が眠っているようです。ここで発掘された土器、貴金属、貨幣などは、サマルカンド歴史博物館に展示されています。

出典:
http://illumination.web.fc2.com/samarqand/samarqand_9.htm

 その当時の旧サマルカンドは、ラフマト川に南面するアフラースィヤーブないしアフラシヤブ(の丘)と呼ばれ、現在の市街地の北側にありました。

 後にティムール朝の王族たちの廟となったシャーヒ・ズィンダ廟は、このアフラシアブの丘の東南遇に位置しています。


ティムール朝の王族たちの廟となったシャーヒ・ズィンダ廟
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 その後、サマルカンドはモンゴル帝国の中央アジア総督府の管轄となり、カイドゥの乱が終結してからはドゥア家のチャガタイ・ウルスの所領として確定しました。

 1333年、イブン・バットゥータは北方のジョチ・ウルスからホラズム、ブハーラーを経由してタルマシリンが治めるチャガタイ・ウルスを訪れています。

 イブン・バットゥータはタルマシリンとの謁見を終えるとサマルカンドにも滞在していましたが、市街地にあった宗教施設、宮殿、城壁、城門のたぐいは跡形も無く消滅して大部分が廃墟になり、かつての町の内部はいくつも農園がある、と述べています。郊外にはアラブ征服時代の聖人廟があってサマルカンドの住民たちは頻繁に参詣に訪れているとも述べています。

◆その後のサマルカンド(新市街地)

 サマルカンドは、14世紀末から15世紀にかけてはティムール朝の首都として繁栄します。

 市街地の内部にはティムールの墓廟であるグーリ・アミール廟やビビ・ハヌム・モスクなどが、アフラシヤブにはシャーヒ・ズィンダ廟群が築かれました。


サマルカンドのグーリ・アミール廟    出典:ウズベキスタン大使館配付資料


ビビ・ハニム・モスク   モスクのドーム部分の高さは40mに達します。  出典:Wikipedia

 さらに郊外にはティムール朝の王族やアミール、廷臣らが大小さまざまな庭園や牧場、宿営地などを設けられました。

 西域番国志によると、15世紀初頭、明の永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「撒馬児罕」と記録されている)を訪れています。

 ティムールの孫ウルグ・ベクの時代に天文台が築かれました。その当時の建物を含めて文化交差点としてユネスコの世界遺産(文化遺産)になっています。


ウルグ・ベク天文台    出典:Wikipedia


ウルグ・ベク天文台    出典:Wikipedia


つづく