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Now on the Silk Road 中国歴史・文化概説

史記(司馬遷)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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本中国の歴史と文化の解説は、Wikipedia(日本語版、英語版)それに中国の百度百科を日本語に訳して使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commonsを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

  この部分は参考情報です。必要に応じてごらんください!

◆史記 司馬遷(中国・前漢)

 史記は中国最初の正史です。中国の歴史書の典型をなす紀伝体の史書でもあります。本紀 12巻,世家 30巻,表 10巻,書8巻および列伝 70巻から成ります。著者の司馬遷が太史令であったため,最初『太史公書』と呼ばれました。黄帝から前漢の武帝までを扱っている通史です。


二十四史
Source:Wikimedia Commons
元のファイルをダウンロード 206 × 300 ピクセル jpg ブラウザーで閲覧 著者への言及ができます パブリック・ドメイン, リンク Shiji 著者情報を閲覧 パブリック・ドメイン File:Shiji.jpg アップロード: 2006年12月27日 このインターフェースについて | 議論 | ヘルプ


 『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。

 正史の第一に数えられます。二十四史のひとつ。計52万6千5百字にのぼります。

 著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)ですが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになりました。

 「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までとなっています。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっています。

 二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されています。

 日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されています。

成立過程

 『史記』のような歴史書を作成する構想は、司馬遷の父司馬談が既に持っていましたがが、司馬談は自らの歴史書を完成させる前に憤死しました。司馬遷は父の遺言を受けて『史記』の作成を継続します。

 紀元前99年に司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵を弁護したゆえに武帝の怒りを買い、獄につながれ、翌年に宮刑に処せられます。この際、獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分もしっかりとした歴史書を作り上げようと決意しました。

 紀元前97年に出獄後は、執筆に専念します。結果、紀元前91年頃に『史記』が成立しました。『史記』は司馬遷の娘に託され、武帝の逆鱗に触れるような記述がある為に隠されることになり、宣帝の代になり司馬遷の孫の楊惲が広めたといいます。

 司馬遷が叙述をしなかった三皇時代について書かれた「三皇本紀」と「序」は、唐代に司馬貞が加筆したものです。

 現存する『史記』の完本は南宋の慶元2年(1196年)のものが最古であり、これが司馬遷の原作にどの程度忠実かは大きな問題です。

 唐代の作である「三皇本紀」は別にしても、太史公自序にいう「今上本紀」が今の『史記』には見えず、かわりに「孝武本紀」がありますが、これが後世の補作であることは明らかです。

 それ以外の巻にも司馬遷が使ったはずのない「孝武」「武帝」の語が散見する。それどころか「建元以来侯者年表」「外戚世家」「三王世家」「屈原賈生列伝」には昭帝まで言及されています。とくに「漢興以来将相年表」は司馬遷のずっと後の鴻嘉元年(紀元前20年)まで記しています。また、あちこちに「褚先生曰」として褚少孫の言葉を載せています。

 『漢書』司馬遷伝によると、班固の見た『史記』は130巻のうち10巻は題だけで本文がありませんでした。現行本は130巻全部がそろっているので、後漢以降に誰かが補ったということになります。張晏によると、欠けていたのは「孝景本紀・孝武本紀・礼書・楽書・兵書・漢興以来将相年表・三王世家・日者列伝・亀策列伝・傅靳蒯成列伝」であるといいます。『史記』太史公自序の『索隠』は、このうち兵書は補われず、かわりに律書を加えたとしています。

思想的背景

 『史記』に貫かれている思想は「天道是か非か」であると言われています。天の道、すなわちこの世に行われるべき正しき道が本当に存在しているのかどうかということである。

 例えば列伝の最初である「伯夷列伝」では、義人であるはずの伯夷と叔斉が餓死という惨めな死を遂げることに対しての疑問です。これは司馬遷自身が、李陵を弁護したと言う正しい行いをしておきながら宮刑と言う屈辱的な刑罰を受けたことに対しての悲痛な思いが根底にあると思われます。

 司馬遷が『史記』を執筆した時代は、武帝により儒教が国教化されつつあった時代です。そのため、孔子については、諸侯でないものの、世家の中に書かれています。『史記』の記述は儒教一辺倒にならず他の思想も取り入れています(司馬遷自身は道家に最も好意的だとも言われています)。これは、事実の追求という史書編纂の目的において生まれたことです。反秦勢力の名目上の領袖であった義帝に本紀を立てず、当時の実質的な支配者であった項羽に本紀を立てていることや、呂后の傀儡であった恵帝を本紀から外して「呂后本紀」を立てていることも、こういった姿勢の現れと考えられます。

 叙述の対象は王侯が中心であるものの、民間の人物を取り上げた「遊侠列伝」や「貨殖列伝」、暗殺者の伝記である「刺客列伝」など、権力から距離を置いた人物についての記述も多いといえます。また、武帝の外戚の間での醜い争いを描いた「魏其武安侯列伝」や、男色やおべっかで富貴を得た者たちの「佞幸列伝」、法律に威をかざし人を嬲った「酷吏列伝」、逆に法律に照らし合わせて正しく人を導いた「循吏列伝」など、安易な英雄中心の歴史観に偏らない多様な視点も保たれています。

 さらに、漢の宿敵であった匈奴を始めとする周辺騎馬民族や蛮族に対しても、当時の漢の価値観から論評することをあまりせず、基本的に事実のみを淡々と書くという態度で臨んでいます。

 儒教が主導権を握った後は、司馬遷のこうした姿勢はしばしば批判の対象とされました。例えば班彪の『漢書』では、遊侠や貨殖といった人物を史書で取り上げたことや儒教を軽視して道家に近い立場をとったこと、劉勰の『文心雕龍』では、女性を本紀に立てたことが非難されています。

 『史記』を一種の悪書と見なす視点はかなり早くからあったようで、前漢の成帝の時代に来朝した楚王・劉宇が『太史公書』を求めたものの、「『太史公書』には昔の合従連衡や権謀術数のことが詳しく書かれており、諸侯に読ませるべき本ではない」という意見が出て、結局楚王の申し出は許可されなかったという逸話もあります。

 また蜀漢の譙周は、「史書の編纂は経書にのみ依拠すべきであるのに、『史記』は諸子百家の説を用いた」と非難すると、『古史考』25篇を著し、経典の所説を遵奉して、『史記』の誤謬を正すものとしました。劉知畿の『史通』古今正史篇には、唐代において『古史考』は、『史記』と並んで広く読まれていたと記されています。

 更に後世において史漢(『史記』と『漢書』)の比較評論が、多くの知識人によって行われています。

文学的価値

 歴史叙述をするための簡潔で力強い書き方が評価され、「文の聖なり」「老将の兵を用いるがごとし」と絶賛されたこともあります。特に「項羽本紀」は名文として広く知れ渡っています。

 文体は巻によって相当異同があることも指摘されており、白川静は題材元の巧拙によって文体が相当左右されたのではないかと考えており、司馬遷自身の文学的才能には疑問を呈しています。

歴史学的価値

 正史として歴史的な事件についての基本的な情報となるほか、細かな記述から当時の生活や習慣が分かる部分も多いといえます。特に「書」に記された内容は、前漢時代における世界観や政治経済、社会制度などについての重要な資料です。

 また、匈奴を始めとする周辺異民族や西域についての記述も、現在知られている地理や遺跡の発掘などから判明した当時の状況との整合性が高く、これらの地方の当時を知るための貴重な手がかりとなっています。また、秦始皇本紀における「始皇帝は自分の墓に近衛兵三千人の人形を埋めた」という記述についても、西安市の郊外の兵馬俑坑の発見で記述の正確さが証明されています。

 一方で、『史記索隠』が引く『竹書紀年』などとの比較から年代矛盾などの問題点が度々指摘されています(例えば呉の王家の僚と闔閭の世代間の家系譜など)。宮崎市定は、歴史を題材にした多くの講談と言った語り物を司馬遷が重要な史料として取り入れていると指摘し、司馬遷について「全てを疑う理由が有る」としています。

 小川環樹は、司馬遷は『戦国策』等の記述をだいぶ参照しているであろう、とその著書で指摘し、加藤徹も司馬遷が記した戦国七雄の兵力には多大に宣伝が入っているのではないかとしています。それら講談から取材した記述と司馬遷自身の記述を見分ける術は我々には無ありません。いずれにせよ、司馬遷の仕事によって後世に史記に採録されている興味深い話の数々が残ったという事実のみがあるのです。

内容 

本紀

内容
卷1 第1 五帝本紀 五帝本紀 五帝
卷2 第2 夏本紀 夏本紀
卷3 第3 殷本紀 殷本紀
卷4 第4 周本紀 周本紀
卷5 第5 秦本紀 秦本紀
卷6 第6 秦始皇本紀 秦始皇本紀 始皇帝
卷7 第7 項羽本紀 項羽本紀 項籍
卷8 第8 高祖本紀 高祖本紀 劉邦
卷9 第9 呂太后本紀 呂太后本紀 呂雉
卷10 第10 孝文本紀 孝文本紀 文帝
卷11 第11 孝景本紀 孝景本紀 景帝
卷12 第12 孝武本紀 孝武本紀 武帝



 三代世表
 十二諸侯年表
 六国年表
 秦楚之際月表
 漢興以来諸侯年表
 高祖功臣侯者年表
 恵景間侯者年表
 建元以来侯者年表
 建元以来王子年表
 漢興以来将相名臣年表



 礼書
 楽書
 律書
 暦書
 天官書
 封禅書
 河渠書
 平準書


世家
内容
卷31 第01 太伯世家 呉太伯世家
卷32 第02 齊太公世家 斉太公世家
卷33 第03 魯周公世家 魯周公世家
卷34 第04 燕召公世家 燕召公世家
卷35 第05 管蔡世家 管蔡世家 管叔鮮・蔡・曹
卷36 第06 陳杞世家 陳杞世家 陳・杞
卷37 第07 衛康叔世家 衛康叔世家
卷38 第08 宋微子世家 宋微子世家
卷39 第09 晉世家 晋世家
卷40 第10 楚世家 楚世家
卷41 第11 越王勾踐世家 越王勾践世家 勾践
卷42 第12 鄭世家 鄭世家
卷43 第13 趙世家 趙世家
卷44 第14 魏世家 魏世家
卷45 第15 韓世家 韓世家
卷46 第16 田敬仲完世家 田敬仲完世家 田斉
卷47 第17 孔子世家 孔子世家 孔子
卷48 第18 陳 世家 陳渉世家 陳勝・呉広
卷49 第19 外戚世家 外戚世家 外戚について
卷50 第20 楚元王世家 楚元王世家 劉交(劉邦の血族で王侯に封じられたものについて)
卷51 第21 荊燕世家 荊燕世家 劉賈・劉沢
卷52 第22 齊悼惠王世家 斉悼恵王世家 劉肥(漢の諸侯王としての斉について)
卷53 第23 蕭相國世家 蕭相国世家 蕭何
卷54 第24 曹相國世家 曹相国世家 曹参
卷55 第25 留侯世家 留侯世家 張良
卷56 第26 陳丞相世家 陳丞相世家 陳平
卷57 第27 絳侯周勃世家 絳侯周勃世家 周勃
卷58 第28 梁孝王世家 梁孝王世家 劉武(漢の諸侯王としての梁について)
卷59 第29 五宗世家 五宗世家 景帝の子について
卷60 第30 三王世家 三王世家 武帝の子(劉 ・劉旦・劉胥)について


列伝
内容
卷061 第01 伯夷列傳 伯夷列伝 伯夷・叔斉
卷062 第02 管晏列傳 管晏列伝 管夷吾・晏嬰
卷063 第03 老子韓非列傳 老子韓非列伝 老子・韓非
卷064 第04 司馬穰苴列傳 司馬穰苴列伝 司馬穰苴
卷065 第05 孫子 起列傳 孫子呉起列伝 孫武・孫 ・呉起
卷066 第06 伍子胥列傳 伍子胥列伝 伍員
卷067 第07 仲尼弟子列傳 仲尼弟子列伝 孔門十哲他77人
卷068 第08 商君列傳 商君列伝 商鞅
卷069 第09 蘇秦列傳 蘇秦列伝 蘇秦
卷070 第10 張儀列傳 張儀列伝 張儀
卷071 第11 樗里子甘茂列傳 樗里子甘茂列伝 樗里疾・甘茂
卷072 第12 穰侯列傳 穰侯列伝
卷073 第13 白起王翦列傳 白起王翦列伝 白起・王翦
卷074 第14 孟子荀卿列傳 孟子荀卿列伝 孟子・荀子
卷075 第15 孟嘗君列傳 孟嘗君列伝 孟嘗君
卷076 第16 平原君虞卿列傳 平原君虞卿列伝 平原君・虞卿
卷077 第17 魏公子列傳 魏公子列伝 信陵君
卷078 第18 春申君列傳 春申君列伝 春申君
卷079 第19 范雎蔡澤列傳 范雎蔡沢列伝 范雎・蔡沢
卷080 第20 樂毅列傳 楽毅列伝 楽毅
卷081 第21 廉頗藺相如列傳 廉頗藺相如列伝 廉頗・藺相如・趙奢・李牧
卷082 第22 田單列傳 田単列伝 田単・王
卷083 第23 魯仲連鄒陽列傳 魯仲連鄒陽列伝 魯仲連・鄒陽
卷084 第24 屈原賈生列傳 屈原賈生列伝 屈原・賈誼
卷085 第25 呂不韋列傳 呂不韋列伝 呂不韋
卷086 第26 刺客列傳 刺客列伝 曹 ・専諸・豫譲・聶政・荊軻
卷087 第27 李斯列傳 李斯列伝 李斯
卷088 第28 蒙恬列傳 蒙恬列伝 蒙恬
卷089 第29 張耳陳餘列傳 張耳陳余列伝 張耳・陳余
卷090 第30 魏豹彭越列傳 魏豹彭越列伝 魏豹・彭越
卷091 第31 黥布列傳 黥布列伝 英布
卷092 第32 淮陰侯列傳 淮陰侯列伝 韓信
卷093 第33 韓信盧綰列傳 韓信盧綰列伝 韓王信・盧綰
卷094 第34 田 列傳 田 列伝
卷095 第35 樊 滕灌列傳 樊 滕灌列伝 樊 ・ 商・夏侯嬰・灌嬰
卷096 第36 張丞相列傳 張丞相列伝 張蒼
卷097 第37 生陸賈列傳 生陸賈列伝 食其・陸賈
卷098 第38 傅 成列傳 傅 成列伝 傅寛・ 歙・周緤
卷099 第39 劉敬叔孫通列傳 劉敬叔孫通列伝 劉敬・叔孫通
卷100 第40 季布欒布列傳 季布欒布列伝 季布・欒布
卷101 第41 袁 錯列傳 袁 錯列伝 袁 ・ 錯
卷102 第42 張釋之馮唐列傳 張釈之馮唐列伝 張釈之・馮唐
卷103 第43 萬石張叔列傳 萬石張叔列伝 石奮・張欧
卷104 第44 田叔列傳 田叔列伝 田叔
卷105 第45 扁鵲倉公列傳 扁鵲倉公列伝 扁鵲・太倉公
卷106 第46 王 列傳 呉王 列伝
卷107 第47 魏其田 列傳 魏其武安侯列伝 竇嬰・田
卷108 第48 韓長孺列傳 韓長孺列伝 韓安国
卷109 第49 李將軍列傳 李将軍列伝 李広
卷110 第50 匈奴列傳 匈奴列伝 匈奴・中行説
卷111 第51 衛將軍驃騎列傳 衛将軍驃騎列伝 衛青・霍去病
卷112 第52 平津侯主父列傳 平津侯主父列伝 公孫弘・主父偃
卷113 第53 南越列傳 南越列伝 南越
卷114 第54 東越列傳 東越列伝 東越( 越・東甌)
卷115 第55 朝鮮列傳 朝鮮列伝 衛氏朝鮮
卷116 第56 西南夷列傳 西南夷列伝 夜郎など
卷117 第57 司馬相如列傳 司馬相如列伝 司馬相如
卷118 第58 淮南衡山列傳 淮南衡山列伝 淮南王劉安
卷119 第59 循吏列傳 循吏列伝 孫叔敖・子産・公儀休・石奢・李離
卷120 第60 汲鄭列傳 汲鄭列伝 汲黯・鄭当時
卷121 第61 儒林列傳 儒林列伝 申公・轅固生・韓生・伏生・董仲舒・胡毋生
卷122 第62 酷吏列傳 酷吏列伝 当時、厳しく法を適用して民を治めた人々。侯封・ 都・寧成・周陽由・趙禹・張湯・義縦・王温舒・尹斉・楊僕・減宣・杜周
卷123 第63 大宛列傳 大宛列伝 大宛(フェルガナ)
卷124 第64 游 列傳 游侠列伝 朱家・田仲・王公・劇孟・郭解
卷125 第65 佞幸列傳 佞幸列伝 鄧通・韓嫣・李延年
卷126 第66 滑稽列傳 滑稽列伝 淳于 ・優孟・優旃・西門豹
卷127 第67 日者列傳 日者列伝 卜者司馬季主
卷128 第68 龜策列傳 亀策列伝 占卜の方法について
卷129 第69 貨殖列傳 貨殖列伝 商人について 范蠡・子貢が商人としても成功した逸話を記述。
卷130 第70 太史公自序 太史公自序 司馬遷の自伝


三国志つづく