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  シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road 中国歴史・文化概説

五胡十六国(文化)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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本中国の歴史と文化の解説は、Wikipedia(日本語版、英語版)それに中国の百度百科を日本語に訳して使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commonsを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は五胡十六国の文化です。

文化

宗教


 五胡十六国時代は、それ以前の中国における宗教の概念を一変させた時代であると言えます。その最大の特徴は、外来宗教である仏教の受容の仕方に現れています。

 五胡の君主の大多数は非漢民族(異民族)でしたが、儒教を尊崇する君主もあれば、老荘思想を志向する者も見られました。そんな中で当時の社会不安が高まり、戦乱が打ち続く華北において飛躍的に拡がったのは、仏教でした。

 魏晋の社会では、仏教は依然として外来の宗教でしたが、五胡の君主達は、自らが仏教徒となると共に、仏教による民衆教化を図ったのです。

 五胡の君主達は高僧を霊異ある者として遇し、政治顧問や軍師として用いる例も多かったようです。よく知られる例は、後趙の石勒と石虎に崇拝された仏図澄です。仏図澄の門下は、釈道安や竺僧朗らの漢民族の高僧を輩出し、仏教をより広い地域に広めました。

 前秦の苻堅は、襄陽の道安を武力によって獲得し、さらに道安の推薦で亀茲で名高かった鳩摩羅什を長安に迎えようとしました。しかし亀茲から迎え入れる最中に前秦は実質的に滅び、鳩摩羅什は後涼に留まることになりました。最終的には後秦の姚興が鳩摩羅什を長安に迎いいれ、盛んに訳経事業を行いました。後秦は中国において仏教の国家支援をした最初の国です。

 泰山に入った僧朗には、東晋の孝武帝を含む6人の君主が施物を献じて自らの国に迎えようとしました。


 この時代の最大の仏教文化遺産と言えば、いうまでもなく敦煌・莫高窟です。

 莫高窟は4世紀から約千年間、元代に至るまで彫り続けられました。大小492の石窟に彩色塑像と壁画が保存されており、仏教美術として世界最大の規模を誇ります。1900年に敦煌文書が発見されたことでも有名です。

「その後の五胡十六国時代には中央から自立した西涼がこの地に首都を置きました。これ以後は沙州(現在の敦煌市沙州鎮・瓜州(現在の敦煌市)と呼ばれます。西涼は北魏によって滅ぼされ、北魏においても西域に対する拠点として重要さは変わりませんでした。

 魏晋南北朝時代は仏教が中国に布教した時代でもあり、この地では竺法護などの僧が西方よりやってくる経典の訳に励み、布教に大きく貢献しました。また366年から僧楽(らくそん)によって莫高窟の掘削が始まっています。 五胡十六国時代から敦煌は張氏・索氏・令狐氏・范氏・宋氏と言う五家の名族によって実質的に支配されており、名族社会を形成していました。」


莫高窟の主洞窟の前で
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 敦煌・莫高窟


莫高窟の洞窟門の前で
撮影:随行学芸員 Nikon Coolpix S9900 敦煌・莫高窟

莫高窟内の仏像と壁画


莫高窟内部  Source:Record China


西の極楽浄土におられる阿弥陀仏。
敦煌、莫高窟、中国、唐王朝。
Source:Wikimedia Commons 


莫高窟の第275番目の洞窟の壁画
Source:Wikimedia Commons 

壁画


16国時代の末期から北魏(西暦384~441年)までの期間、甘粛省酒泉で1977年
に発掘された東晋代の丁家閘壁画墓。絵は演奏中の楽団、左から、腰鼓、長笛、
阮咸琵琶、そして、古琴。
Period from end of Sixteen Kingdoms to Northern Wei (384-441 A.D.) image from the tomb of Lord Yanju. Shows musicians playing (from left) waist drum (细腰鼓), flute (长笛), lute (阮咸琵琶), and guqin (古琴).
Source:Wikimedia Commons 


 この壁画墓は統万城遺跡の南約4キロの八大梁墓地にあり、入り口のレンガを取り除くと、土壁に柱やアーチ型の門が描かれ、彩色が施されていて、石窟の門のように作られていました。墓室の周囲の壁には三足烏の太陽と月の上で薬を引くウサギ、ヒツジ、人、樹木などが描かれていました。
Source:Wikimedia Commons 

 興味深いのは墓主が門の反対側の壁に描かれていたことで、簡単な建物と一緒に描かれていました。宮殿のようなドーム型の建物は、壁画墓の形とよく似ていました。

 ケイ研究員は「この壁画は宗教的な意味合いが濃く、石窟寺院を模したような墓の構造と壁画は非常に珍しい。墓主は仏教徒とみられ、壁画に描かれた人物や動物の赤い唇が印象的だった」と述べました。
Source: http://d.hatena.ne.jp/xian_golden_bridge/20111220/1324371358


服装


前秦紫缬襦、绯碧裙。甘肃花海毕家滩26号墓出土,甘肃省
文物考古研究所藏。见于中国丝绸博物馆。
前秦時代の紫色の鹿の子染めの短い上着、甘粛花海畢家灘26号墓
から出土。甘粛省文化遺産考古学研究所収蔵。中国シルク博物館に展示。


絵画


十六國時期北方民族戰爭圖
十六国時代の北方民族戦争図
Source:Wikimedia Commons 


文字・書

「璇玑图」の文字。 この文書は東晋時代の作品であり、現在は「鏡花」に従って描かれています。
Source:Wikimedia Commons 



李柏文書(前凉)
Source:Wikimedia Commons 


南北朝・文化へつづく