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Now on the Silk Road 中国歴史・文化概説

(文化2)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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  この部分は参考情報です。必要に応じてごらんください!

◆宋 (文化2)

文化

 宋代の初期には、皇帝の詔勅による文化事業として、「四大書」と総称される大部な書物の編纂が、相次いで行われました。太平興国三年(978年)の『太平広記』500巻、太平興国八年(983年)頃の『太平御覧』1000巻、雍熙三年(986年)の『文苑英華』1000巻、大中祥符六年(1013年)の『冊府元亀』1000巻です。

思想・宗教

 
儒教 程顥                   陸象山    
Source:Wikimedia Commons         Source:Wikimedia Commons

  
程頤                     朱熹
Source:Wikimedia Commons       Source:Wikimedia Commons  
   
 
 注)程顥(てい-こう)[1032~1085] コトバンクより
   中国、北宋の思想家。洛陽(河南省)の人。字(あざな)は伯淳。号、明道。弟の程頤(ていい)
 とともに二程子とよばれる。性理学の基礎を築いた。語録が「二程全書」に収められている。

 注)陸象山(りく-しょうざん)(1139~1192) コトバンクより
   中国,南宋の学者。名は九淵。字は子静。応天山に学舎を建ててこの山を象山と名づけたの
  で,象山先生と呼ばれた。朱子の同時代人で,鵝湖 (がこ) 寺で行なった朱子との論争は「鵝
  湖の会」として有名。彼は,朱子が「格物窮理」を重んじ分析的,知的な学問を唱えたのに対
  し,直観的悟入を強調した。また朱子が程頤 (ていい) の説を継承して「性即理」を主張した
  のに対し,彼は「心即理」を説き,天地と心の完全なる融合の境地を提示した。その学風は,
  程頤よりも程 顥 (ていこう) を継承し,のちに王陽明への道を開くものであった。文章,語録
  は,『陸象山先生全集』 (36巻) に収められている。

 注)程頤(てい‐い)[1033~1107]コトバンクより
   中国、北宋の思想家。洛陽(河南省)の人。字(あざな)は正叔。号、伊川。兄の程顥(ていこ
   う)とともに二程子とよばれる。性理学の基礎を築いた。語録が「二程全書」に収められている。

 注)朱熹(しゅ‐き)[1130~1200]コトバンクより
   国、南宋の儒学者。字(あざな)は元晦(げんかい)・仲晦。号は晦庵・晦翁。朱子・朱文
   公と尊称される。北宋の周敦頤(しゆうとんい)・程顥(ていこう)・程頤(ていい)らの学
   説を総合して朱子学を大成した。死後、朱子学が儒学の正統とされ、元代以降官学として採用
   されたため、四書尊重の風など後世に大きな影響を及ぼした。主著「朱文公文集」「四書集注」
   「資治通鑑綱目」「近思録」など。

          
 科挙の隆盛により、知識人はほぼ完全に儒教を基礎とする人物となった事で、宋は歴代でも儒学の強い時代でした。その儒学の中で道学と呼ばれる新しい学問が始まり、後に朱子によって集大成されて朱子学となります。

  宋学の主な学派は、王安石(おう-あんせき)・王雱(おう-ほう)親子の新学、蘇軾(そ-しょく)・蘇轍(そ-てつ)兄弟の蜀学(しょくがく)、張載の関学(かんがく)、程顥(てい-こう)・程頤(てい-い)兄弟の洛学(らくがく)です。それ以外には周敦頤(しゅう-とんい)・邵雍(しょう-よう)などが挙げられます。

 注)宋学(そうがく)コトバンクより
   中国宋代の学者の唱えた学問の総称。特に周敦頤(しゅう-とんい)に始まり、程顥(てい-こう)
   ・程頤(てい-い)が究め、朱熹(しゅ-き)に至って大成された新しい儒教哲学をさし、狭義には
   朱子学をさす。経書の訓詁(くんこ)・注釈を重んじる漢・唐代の方法を改め、その哲学的解釈
   や儒教の実践に力を入れた。

 注)蜀学
   蜀学と言うのは、前漢末に益州地方を占拠して後漢の光武帝と天下の覇権を争った公孫述の
   武将となり、公孫述の敗死に伴い自殺を遂げた楊春卿から始まる讖緯の学を指し、その内容は、
   天文や自然の状況から人や国家に将来起こり得る吉凶禍福や災異を占い予言するもので、楊春
   卿から楊統へ、楊統から楊厚へ、楊厚から任安・董扶・周舒へ、任安から杜微・杜瓊・何宗へ、
   杜瓊から高玩へと受け継がれていくが、譙周自身がこの学統に直接連なっていた訳ではない。

 注)訓詁学(くんこがく)とは Wikipediaより
   中国の伝統的な言語学のうち、語の意味を研究する分野をいう。 とりわけ漢以前の古書に見
   られる古代語を研究した。 その著作は古代の書籍に注釈する形のものと、語を集めて分類し語
   義を分析したもの(義書)がある。

 北宋期宋学の共通点は、漢唐訓詁学に対する批判から始まる点です。訓詁学は孔子が残した(とされる)経書を解釈し、教えの正確な把握に努めます。対して宋学では語句の解釈のような「瑣末な」問題には拘らず、この世界を司る天理の解明を追求します。

朱熹の登場

 北宋代に形作られた新儒教の流れを大成したのが南宋の朱熹であり、その学問朱子学は清代まで中国の中心思想であったのみならず、影響は日本・朝鮮など東アジア全体に広がり、その影響は現在に至るまで大きいと言えます。

 朱熹は程顥・程頤の流れを汲む道学の徒だが、その理論を大きく発展させました。

 理気論、性理論、性即理。所以然、・所当然などの理論があります。

 朱熹は四書五経などの経書に自らの解釈を持って注釈を施すと共に、細密な理論体系を構築し朱子学を建てました。朱子学は南宋思想界の大勢力の一つとなりました。韓侘冑により慶元偽学の禁が出され一時弾圧されましたが、禁解除後は再び思想界の主流となります。以後の王朝では官学となり東アジアにも広い影響を及ぼしました。

 同時代の思想家として他に名声を箔したのは陸象山です。

仏教

 唐代は儒仏道の中で最も隆盛を誇った仏教ですが、唐代に主流だった経典解釈を中心とする仏教は宋代では振るわず、士大夫層には自己言及的な禅宗が、民衆層では阿弥陀如来の救済を求める浄土教が盛んとなりました。

 但し、北宋初においては、太祖が971年に『大蔵経』の1076部5048巻という大々的な出版を行い、また太宗と真宗の時代には、伝法院で234部489巻という大規模な訳経事業が行なわれています。

 これは、主に密教経典が訳されたものですが、この時期はインドの仏教の最末期に当たり各地で仏像や寺院などが破壊され仏僧は国外へと逃亡しました。その中で中国へ渡来したのが施護や法賢であり、彼らを中心に訳経が行われました。

 禅宗では、いわゆる「五家七宗」が確立しましたが、その中でも臨済宗が最も栄えました。士大夫層には禅宗の信者が多く、熱心な研究者も多かったのです。宋学の理論には禅宗の影響が強かったのですが、同時に研究の上で仏教を「夷狄の学問」とする排撃も見られます。朱熹も初め禅の信徒でした。

道教

 太祖は三教を概ね平等に扱い、一つに傾倒することは無かったのですが、最晩年から変化が始まります。道士の張守真が太祖に招聘され、太祖の死と太宗の即位とを予言し、その後は太宗の傍で度々神託を降したといいます。

 真宗は澶淵の盟によって訪れた平和を最初喜んだのですが、王欽若に城下の盟と言われ自らの威厳を損ねたと感じるようになりました。これを利用して王欽若や道士が画策したとされるのが天書事件です。

 この後、真宗は道教に好意的になり、道士に対する免税や大規模な道観の建築などを次々と行いました。また道教の経典の整理を行わせ、1019年に『大宋天宮宝蔵』と名づけられた書物を完成させました。

 真宗の死後、宋朝の態度は以前の三教平等に戻りましたが、徽宗に至って自ら道君皇帝と名乗り、『老子』や『荘子』に注釈を行う傾倒振りを示しました。多数の道士が徽宗に侍ったが、その中で特筆すべきが林霊素です。

 林霊素は1115年ごろ徽宗に道教理論を説いて認められ先生の号を授けられました。直後に道学(道教学校)が設けられ、太学に道教の研究を行う『道徳経』・『荘子』・『列子』の博士が設けられました。更に林の教唆により、仏教に対し仏→大覚金仙・僧侶→徳士などの改名や僧侶の道士服着用が強制されましたが、これは一年で撤回されました。

 道教は隆盛したが、皇帝と結びついた教団は一般信者との乖離や堕落が見られ始め、これが北宋末から金初期に登場する太一教・全真教・真大道教などの新道教を導くことになりました。

 南宋代もある程度の安定が得られた高宗および孝宗時代は、道教よりも仏教を優遇していた。また仏教・道教に共通して度張を売り出すと共に、免役銭を逃れを禁じ僧侶・道士にも免丁銭を課した。

 南宋皇室と最も関係が深かったのが天師道である。高宗・孝宗などに天師が度々召され、道術により災いを祓って褒賞を受けたという。一方、上清派は皇室から遠く民間の勢力に留まっていた。総じて南宋代の道教は実態は判然としないが、あまり優遇されなかったようである。

その他・民間の宗教

 以上の三教が国家公認の宗教ですが、その他にも民間では様々な信仰対象がありました。

 例えば家の神として竈神が信仰を集めており、また農村では農業神が、街であれば城隍神が信仰されていました。他に地域の過去の偉人が祀られた場合もあります。それらの神居として、社や廟が用意されていますが、村の中心の物を村社・郷の物を郷社といい、村社は農民による自然発生的なものが多いのに対して、郷社の多くは士大夫や兼併など富民によって作られたようです。

 規模が大きく規範の面で望ましくない民間信仰は「淫祀」とされ、社や廟が取り壊されました。更に、危険な存在であると認識された場合には「邪教」とされ処罰の対象となりました。

 代表的な宗教はマニ教です。唐代には公認されていたマニ教でしたが、呪術的な傾向を強めたため次第に政府の警戒を受け処罰の対象となりました。方臘の乱の中核はマニ教徒ではないかとも言われています。

 孝宗期に慈昭子元が創始した白蓮宗は弥勒信仰を中心とする仏教結社で、既存の宗派から異端視されたが民間に多数の信徒を集めました。しかし、後に白蓮宗の一部が弥勒下生を願う反体制集団白蓮教となりました。

文学


 北宋最高の文人、蘇軾
Source:Wikimedia Commons

ウィキソースにそれぞれの原文がいくつかあります。楊億・林逋・寇準・欧陽脩・梅堯臣・蘇舜欽・王安石・蘇軾・黄庭堅・ 陸游・楊万里・范成大・張先・柳永・周邦彦・李清照



 五代の詩は繊細な詩風を特徴としますが、詞が隆盛した一方で、詩は概ね低調でした。

 北宋・真宗期の高級官僚の間では西崑体と呼ばれる詩風が流行した。西崑体の代表としては楊億・銭惟演・劉筠といった名前が挙がっています。

 宋初には他に独自の詩風を持つ詩人も居り、まとめて晩唐派と呼ばれますが、詩風は同じではありません。魏野・林逋・寇準といった名前が挙があります。

 仁宗期に入り、欧陽脩は韓愈に心を寄せて古文復興運動に取り組み、詩に於いても韓愈を手本、梅尭臣・蘇舜欽を同士に新しい詩の流れを生み出しました。

 神宗期に活躍したのが王安石であり、宋代最高の詩人である蘇軾です。王安石には政治に関する詩が多く、表現に於いては故事・古詩を盛り込みつつも端正な詩風です。

 当代一の文人である蘇軾の周りには多くの才能ある文人が集まり、黄庭堅・張耒・晁補之・秦観の四人は蘇門四学士と称されましたが、中でも黄庭堅が文名・後世に最も大きい影響を与えました。黄庭堅の詩風は多くの追従者を生み、後に江西詩派と呼ぶ流れを生みました。

「漢武」楊億

「画眉鳥(ガビチョウ)」欧陽脩 [表示]

「鐘山即事」王安石 [表示]

「春夜」蘇軾 [表示]

 華北を失い江南へ押し篭められた激動の時代を代表するのが、陳与義・曾幾・呂本中の三人です。時代を反映し亡国の悲憤を詠んだ歌が多いと言えます。杜甫を尊敬した陳与義は杜甫と似た境遇に遭った事で詩も杜甫に近づいたと評されています。

 孝宗の治世に入り、ある程度の安定を得た南宋で再び詩が全盛期を迎えます。代表的なのは范成大・楊万里、そして南宋最高の詩人である陸游です。

 陸游は29歳の時に解試(科挙の一次試験)を受けて見事1位で合格しましたが、そのときの2位が時の宰相秦檜の孫である秦塤であったために省試(二次試験)では秦檜により落第させられたといいます。結局86年という長寿を保ち、現存する詩は9000に及んでいます。

 孝宗の治世末から平和な時代が続き、詩を詠む人間の数は大きく増加しました。代表が永嘉四霊と江湖派であり、永嘉四霊とは徐照・徐璣・翁巻・趙師秀の四人です。

 南宋も末に近づき、モンゴルの攻撃が日に日に激化する中で、激情を詠んだのが文天祥です。文天詳の詩としては「正気の歌」が有名で、その亡国を悲しむ詩は後世の愛国者に深い感銘を与えました。

 南宋滅亡後、元の時代になっても「宋の遺民」として過ごす人々がおり、彼らは在りし日の宋を懐かしんで歌に詠んだのです。代表としては汪元量・謝翺・鄭思肖らの名が挙がります。

「墨梅」陳与義

「黄州」陸游

「約客」趙師秀


宋・文化3つづく