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シルクロードの今を征く


Now on the Silk Road 中国歴史・文化概説

(歴史2)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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本中国の歴史と文化の解説は、Wikipedia(日本語版、英語版)それに中国の百度百科を日本語に訳して使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commonsを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

  この部分は参考情報です。必要に応じてごらんください!

◆唐 歴史(中国)


出典:中国歴史地図庫

陸上交易(シルクロード交易)

 唐の時代、外国との交易はなされ、陸路をつたって外国との交易が行われていました。

 東方からは、突厥(とっけつ/とっくつ)、回鶻(かいこつ)と交易がもたれ、渤海湾沿岸から盧龍の関税を通り、交易がなされていました。渤海や新羅からは、高級毛皮・朝鮮人参などが運ばれた。

 北方とは、突厥、回鶻との交易において、唐の絹が、馬と交易された。後に唐の茶も交易品に加わりました。

 西北の国家とはシルクロード交易がなされました。

 640年に、唐は高昌国を滅ぼして安西都護府を置き、直轄とし、西域経営を行っていました。西域に住む商業民であるソグド人は広範囲に商業活動を行い、安西都護府の軍に送られる絹や布は、当初は人夫が行っていましたが、8世紀前半には、輸送量が増えたため、ソグド人を含む商人に輸送を委託されたことによって、交易は盛んとなりました。


 シルクロード交易では、金銀と絹が通貨として使用され、唐初では銀が重んじられましたが、唐の影響力が強くなるにつれ、絹や銅銭が重んじられるようになりました。交易路は険しい上に、家畜が運ぶ長距離輸送に頼るため、重量が軽く価値が高い奢侈品(しゃしひん=贅沢品)や嗜好品が主な交易品でした。

 唐からは、絹・紙・茶が輸出され、金銀器、真鍮、ガラス製品、玉、ラピスラズリ、絨毯、薬材、香料、胡椒、葡萄酒などが輸入されました。輸送には、奴隷、馬やラクダ、驢馬などが使用され、それ自身も交易品となることもありました。

 西域の商人は唐各地を回り、多くのソグド人が定住して、陸上交易は隆盛します。しかし、安史の乱以降は、西域における唐の勢力が衰え、吐蕃(ちばん)と回鶻の進出により、シルクロード交易は衰退し、唐の外国交易の主流は東南海岸からの海上貿易に移って行きました。

 注)吐蕃(とばん) Wikipediaより
  7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国です。中国では、唐が吐蕃と呼んで以来、17世紀中ごろまでチベットの総称として使用され続けました。日本では一般的に中国名の「吐蕃」を王朝名とした他、吐蕃王国、吐蕃帝国などの呼称が用いられており、呼称は定まっていません。
 

唐の時代の大都市(長安)

 唐代に発展した大都市は都である長安(今の西安)の外、北部の洛陽、南部の揚州、成都、広州などが存在しました。

 長安は、唐代のほとんどの期間、唐の都であり続けました。人口は約100万人が従来からの通説であり、現在は諸説ありますが、各説100万人の前後であることが多く、世界最大の人口を持つ都市である説が有力です。

 宮城が東に存在したため、長安の東には貴族や官僚が住み、西側に庶民が住んでいました。東西に存在した二つの市である東市と西市を中心に、商業地区が生み出された。東市の周りの坊には、北里と呼ばれた多数の妓楼のある歓楽街や旅館街、飛銭を発行をする進奏院、胡姫(外国人の少女)が給仕を行う酒場が存在した。

 また、庶民が多数居住した西市の周りには、西域から来たソグド商人が経営する金融業者、宝石商が店を構えていました。また、多数の地方から来た流寓者が西市付近に住み、スラム街となり、「客戸坊」と呼ばれていました。時代に進むにつれ、皇族、高官、宦官が街の東北部の宮城の近くを占めて行きました。市には、数百の行があり、邸店が立ち並んでいました。東市では高級品を主に扱っていましたが、商人は西市に集まり、西市の方がにぎやかでした。

 注)ソグド人( sogd)
   ソグド人は、中央アジアのザラフシャン川流域地方に住んでいたイラン系(ペルシア系)の
   オアシス灌漑農耕民族です。また、商業を得意とし、定住にこだわらず、シルクロード周辺域
   で多様な経済活動を行っていました。近年の研究では、シルクロードを経済的に支配してい
   たといわれています。クシャーナ朝、エフタル、突厥と、たびたび遊牧国家の支配を受け、
   その都度支配者が変遷したが、その間もソグド人は独自の文化を維持し、農業と商業に従事
   していました。



中国北斉期に、石壁に描かれたソグド人(西暦567年、もしくは573年)
Source:Wikimedia Commons
PHGCOM - self-made, photographed at the Musee Guimet, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
  

 街中に飲食店が店を開いていました。盛唐から、運河の改良により、船で各地の食糧や特産品が運ばれるようになりました。胡人は、突厥やソグド、回鶻(かいこつ)人だけではなく、アラビア、ペルシャ、インド人なども多く、そのため、長安は世界でもっとも繁栄した国際都市となったのです。

 注)回鶻(かいこつ)
  回鶻は、テュルク系遊牧民族鉄勒(てつろく)の一部族である回?(かいこつ、ウイグル)部を中心
 に、モンゴル高原からジュンガル盆地東部に勢力を誇った遊牧国家(遊牧帝国、可汗国)。ウイグル
 帝国,ウイグル国,遊牧ウイグル国,ウイグル国家とも呼ばれ、可汗(カガン:Qaγan)を奉じていた
 ので回鶻可汗国,ウイグル可汗国,東ウイグル可汗国とも、鉄勒(トクズ・オグズ)を中心としたため
 トクズ・オグズ国とも呼ばれています。中国の史書による漢字表記には迴]、回、迴鶻、回鶻などがあ
 ります。

 
  
8世紀後半の唐とその周辺国。回鶻は、現在のウイグル族の先祖と言えます。
Source:Wikimedia Commons
トムル - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

 また、長安は関中という盆地にあり、要害に囲まれ、監牧地が近くに存在し軍馬が容易に供給されたため、防衛上の機能は高かまりましたが、輸送上の問題がありました。そのため、しばしば食糧難に陥り、盛唐までは皇帝は洛陽に移動することが多かったと言います。また、長安(現在の西安)はシルクロードをつたって、西域国家経営を行い、西域とつながるために適した地勢でもありました。


唐・文化へつづく